『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
第五話 人と猫と好奇心

 袴の色が濃緑に変わると、本当に私は国芳さんのお嫁さんになったのだと実感する。
 神道には詳しくない私でも流石にそろそろあの緋色の袴は、と思っていた矢先だった。神職や巫女ではない一般事務職の女性などが身に着けると言う色の中から選んだ国芳さんの瞳と同じ濃緑の袴を身に着け、たまちゃんと一緒に今日も扉を押して神社に向かう。

 お腹の空かないたまちゃんたちでも好きな物は普通に口にする、と聞いてからはちょっとしたおやつを、私にとっては現世の食べ物の補給を兼ねてよくお茶をするようになっていた。
 そんな昼の休憩も終わって、たまちゃんを連れて社務所の外に出る。

「このおみくじの箱の上に国芳さんが寝ていたの」

 人が殺到する事態も落ち着いてきたのか今日は午前中でもそこまで忙しくなかった。午後は修行の身である見習いの子たちに社務所の作業は任せ、私とたまちゃんは境内の掃き掃除をしたり硬く絞った雑巾を持って参拝客が休憩できるように置かれているベンチなどの拭き掃除を始める。
 木々の青い匂い、通る風の心地よさを肌で感じていると不思議と心が落ち着いていく気がした。

「不思議ね……まさか私が神様の御使いの方と」

 私と国芳さんの出会いの話に瞳を輝かせているたまちゃん。うんうんと頷いて私がさらわれた経緯を聞いてくれる。

「あの、すず子さま。国芳さまとすず子さまのにおいはお花のにおいがしたり、果物のにおいがしたり……いつもよいにおいがするんです」
「たまちゃんもその違い、分かるの?」
「お二人のにおい、たまは大好きですから」

 私でも国芳さんの纏う日々の匂いの違いが分かるくらいだから当たり前か、と思った時だった。
 私とたまちゃんに向けられる無遠慮な視線と無機質な音の方向を見る。

 写真を撮られたのだと知って少し、顔を顰めてしまった。
 ここは神社、神様をお祀りする場所……境内の中ではみだりな撮影を管理者である宮司さんは許可していない。
 一の鳥居、二の鳥居とその横には看板でしっかりと理由のない、職員などへの断りのない撮影は控えて欲しいとの提示はしてあった筈。お宮参りや七五三のお祝いごとならともかく――スマートフォンのカメラを私とたまちゃんに向けたのは意外にも女性たち三人だった。

 でも、装束姿の私とたまちゃんを本当に撮影したかどうか確認が出来ないから注意をする事も出来ない。そこから何かトラブルに発展しても宮司さんに迷惑が掛かってしまう。
 だからこそ、看板が用意されているのに。

「たまちゃん、中に入ろう」

 何が起きたのかまだ分からず竹ぼうきを握ったままきょとんとしているたまちゃんに「ちょっと、宮司さんに報告したいことが」と背を押して社務所の中に入るよう促した時、明らかに私たちを撮影しようとした女性三人がそれぞれに膝から崩れ落ちていった。

 呆気にとられる私の背後から「節操がない」とざり、と砂利を踏む音がひとつ。

「黒光さま!!いらっしゃっていたのですね」
「様子を見に来てみればこれだ」

 いつもの白い上衣に渋い紫色の袴、黒い膝丈の羽織りものに袖を通した黒光さんが腕組みをして立っていた。
 しかもなんだかちょっと面倒くさそうな表情をして。

「玉乃井、すず子様を連れて中へ。代わりに詰めている猫たちをここに呼んでくれ。丁度いい教材が出来た」
「教材……?」
「ここは神を祀る場。この人の子らは我々の目に余る行為を犯した。すず子様もそうお感じになられた筈です」

 確かに、そうだけど。
 でもちょっと乱暴かも、と……ああ、私もそうだった。
 国芳さんが気に入ったからって多分こんな感じで勝手に連れ去られたに違いない。

「あの、あまり乱暴な事は」
「ええ……それは勿論弁えています。さあ、中へ」

 少し口調が強くなった黒光さんに言われて私は掃除道具を持ってたまちゃんと社務所に戻り、黒光さんの気配と自体に気がついた見習いの子たちが外に回る。
 ぞろぞろと人の姿の子たちが出て行ったのを見て何かあったのですか、と奥から宮司さんが顔を出したので「多分、私とたまちゃんの装束姿が写真に」と伝える。
 やはり時々、人の姿をした見習いの子たちが盗撮されたりする事はあるそうで。今、ちょうど黒光さんが訪れて対処してくれていると宮司さんに説明をすれば「神道でも仏教でも、あらゆる信仰の前に我々は人としての礼節を弁えねばなりませんね」と呟くように言葉にする。
 宮司さんのその言葉に、私も小さく頷いてしまった。

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