『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 お手伝いはそのまま終わり、たまちゃんと一緒に寝殿に戻る。
 あの女性三人は黒光さんが「多少の処罰を」したらしい。処罰と言っても後で少しだけ悲しい出来事が起きる、とか。気を失ったまま社務所の入り口の板の間に担ぎ込まれ、やっぱりどうにも心配になった私が怪我をしていないか確認をさせて貰えば黒光さんの少し不服そうな視線が背中に刺さっていた。

 でもそこは、ね。
 黒光さんを信用していないわけじゃなくて、それはなんだろう……私も同じ俗な人間だから、かな。目が覚め、何が起こったのかわからない彼女たちに「ルールは守ってね」と言葉を添えて最後は私が外に送り出した。

「大変だったな」
「はい。でも、仕方ない事なんだと思います。装束姿って珍しいですし私も緑色の袴になりましたから」

 夕方、国芳さんの執務室の隅で邪魔にならないようにお茶をさせて貰っていた。
 最近の私はその日、神社であった出来事を国芳さんにお話しするのが日課になっていた。
 他の人のお願いごとの妨げになってはいけないので国芳さんから話を振られない限りは言葉を発しないように、宮司さんから少し分けて貰った巾着用の布に針を刺しながら静かな一日の終わりを迎える。

 五匹のサバ猫が仲良く遊んでいる姿が描かれているその周りにたまちゃんから分けて貰った刺繍糸で丁寧にふちどりをしていると布ずれの音。顔を上げれば国芳さんが興味深そうな目をして見下ろしていた。

「熱心だな」
「少しでもあの神社に貢献できたらな、と。難しい縫い方は出来ないので素朴な感じになっちゃうんですけど……お宮参りの方への授与品を包む巾着に、と」

 どうやら私は国芳さんとの子を授かる事はできないらしい。
 人間としてある程度の年齢、以前からそう言った事も時々考えていたけれど私は私なりに今、出来る事をしたいと思っていた。

 国芳さんが膝をつく。
 針を持っているから、と横に置いていたお裁縫箱くらいの大きさのつづらに作り途中の布を置く。

「良い行いをしている時のお前からは花の匂いがする。甘いが……しつこい匂いじゃない」

 少し押し倒されるように、のし掛かって来る国芳さんを受け止める。
 そうなんですか?と自分の匂いはよく分からなかったので私は反対に国芳さんの匂いをすん、と吸いこむ。

「お仕事をされている時の……墨の匂いに、そう……あの神社の拝殿を抜ける風の……青い匂いがしますね」

 じゃれ合うような戯れ。
 私は壁際にいたのでとん、と背中が当たって。
 ふ、と笑う国芳さんに匂いを吸われるままに私も自分が感じた事を素直に口にしていた。

「平安の世では貴族の遊びとして持ち寄った香を焚き、互いに評し合うと言う催しもあったが……」

 二人だけではただ、香りは静かに重なり、時が流れるばかり。

「国芳様、明日のお焚き上、げ……の」

 ああ、何とも気まずい。
 私にはまだ足音や気配が感じ取れないからびっくりしてしまう。
 それに私はしっかりと国芳さんにのし掛かられているので視線だけを出入り口の黒光さんに向け、恥ずかしくなってすぐに逸らす。

「お取込み中でしたら時を改めます」
「いや良い。続けろ」

 よくない。
 良くないですってば!!と言えない状況。

「宮司に確認を取ったところ、すず子様にも是非にとの事なのでくれぐれも……私は“ご忠告”しましたからね。宮司もすず子様を娘か孫のように大層気に入られているので期待を無碍にしてやっては」
「分かっている」

 ああもう、この人たちは。
 でも猫同士ならこう、擦り合うのは自然な事だと思うけど誰かにまじまじと見られてしまうのは恥ずかしい。いくら私が国芳さんのお嫁さんになったとは言え、普段から挨拶や会話を交わす人に見られるのは。

 今日、黒光さんが神社に来ていたのは明日のお焚き上げの打ち合わせだったのだと知って……神社では参拝客も交えて宮司さんがお一人で定期的に行っているお焚き上げと、予定は非公開で行われている二種類があると言う。明日は非公開、偶然参拝された方しか見る事が出来ないお焚き上げなのだそう。
 黒光さんの言葉から推測すると明日は国芳さんが神社に来るのだろうか。

「明日は焚き上げる枚数が多いからな、俺も行く事になっている。お前にはくべる際に俺の手元に渡す役目をしてほしい」
「それは全然、構わないのですが」
「不安か?神に会って葡萄まで貰った癖に」
「それは、国芳さんが私のことをからかってあんな事態になって、あやうく魂だけの存在に」

 ごほん、と咳払いが一つ。
 黒光さんの視線が痛い。

「黒、明日の留守番は任せたぞ」
「御戯れの最中、失礼致しました」

 深く一礼をしてするすると出て行ってしまった黒光さん。ちょうど部屋の向こうからたまちゃんがご機嫌に私を呼ぶ声がしたけれど退室する黒光さんが戸の所で何か話をしているようで、結局たまちゃんは執務室には入って来なかった。

「すず子」
「んん……っ」

 今、黒光さんに言われたばかりだと言うのに国芳さんも続きをしようとしないでください……と、それが言えたら良いのに。手加減をして匂いを吸うだけにとどまってくれたから良かったけれど、黒光さんに釘を刺されていなかったらと思うと……もう。

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