『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 翌日、色々な人のお願いが白い煙となって昇ってゆく。
 風もなく、真っ直ぐに。

 予め二、三枚で一つの束になっていた書状を私に向けて手を差し出す国芳さんに手渡し、見習いの子たちも宮司さんに同じように絵馬や札を手渡していた。

 私が手渡す最後の束。
 触れた時にどこか、胸騒ぎがするような気がして手渡すのに戸惑ってしまえば国芳さんの視線が向けられ、その深緑の眼差しはいつものように優しいものだったので私も気を取り直してしっかりと渡す。

 浄化の火、そして白くたなびく煙に混じって黒い筋がひとつ、上がる。

「……これは、神には直接伝えられない願いだった。お前が見たように薄く頼りない願いや濃くはっきりとした願いと千差万別。願いは人の子それぞれなのだが……文字も無く、塗りつぶされたように墨一色の時が時々ある。俺もそれは読めないし、俺すら読めないのならどれほど深刻な願いだったとしても神には直接上げられない」

 だから焚き上げるしかないんだ、と斎事の際に身に着けると言う白い(ほう)を纏った装束姿の国芳さんが言う。
 それは人間の持つ悲しみや恨みとか、それを越えてしまったとても強い感情なのだろうか。縁切り神社と噂をされている場所に来て、神様にその心の内を伝えて……でも、もう伝わらない程に真っ黒で。

「知ってしまったからには、私は祈る事しか出来ません」
「ああ。そうしてやってくれ」

 どうかその心の内が癒されますように、と消え掛かる黒い煙の筋を見上げる。

「お前も変わったな」
「そうです……よね。自分でもちょっと、変化について行けてないような気がして」
「人の子の心の移り変わりは四季のようだ。凍てる時もあれば花がほころび……ずっと、その繰り返しの果てに命は静かに老い、枯れ……どうした、そんな目をして」

 国芳さんが真面目なことを言っている。
 きっとそれは全ての人に当てはまることじゃないけれど――私が手にした誰かの願い事が叶いますように、と思っていればとん、と国芳さんの肩が当たると同時に私の耳元の匂いが吸われた。

「花の匂いがする。お前は優しいな」
「ちょっと、宮司さんとか他の見習いの子たちが」
「あいつらも猫だ、これくらい」
「宮司さんは」
「いいんだよ、爺さんは」

 黒光さんは宮司さんが私の事を娘や孫だと思ってくださっているのだと言っていたのに。

「俺とお前は神も認めた番だ。何ら問題は」

 言葉を終えようとした国芳さんの声が少し枯れているようで、その喉元に無意識に手を当ててしまった。
 ずっと火の前で祝詞を捧げていたから、すり、すり、と指先は勝手に国芳さんの喉に触れて。

「待てすず子、爺さんが見ている」
「え、あっ……ああああもう!!」


 寝殿に戻って来て、湯あみを勧められたのでその通りにさせて貰い、今は自分の寝所の寝台の上。湯冷めをしないようにとたまちゃんが掛けて行ってくれた羽織りものを肩に掛けて足を崩してからどれくらい経ったか。もう庭は暗く、いつの間にかついていた明かりのそばで、また私は手元の針と糸で私の願いをそっと縫い込む。
 健やかに育ちますように、とひと針ずつ、丁寧に進めていれば聞き慣れた布を引く音がして几帳の向こうに顔を向けた。

「起きていたか」
「お疲れかと思ったのでお伺いしなかったのですが、ここには御神酒もありませんよ」
「いい……お前がいる」

 足を崩していた私はまた、縫い途中の布をつづらにしまうと国芳さんの耳が少し横に倒れているのを見る。

「すまない。お前の手仕事を度々邪魔している気がする」
「いいえ。お風呂から上がってからずっと縫っていたので」

 そうか、との言葉と共に耳が立つ。
 国芳さんは案外、感情が分かりやすい。そんな姿と昼間、神様の御使いとしての仕事をしていた時の姿を思い出す。
 初めて見た白い装束の姿、昼の明るい陽射しに輝く不思議な色をした癖のある髪もきっちりとまとめられていて。
 今はもう、お風呂に入っていつもの柔らかい癖のある髪がゆるく跳ねているけれど、素敵だった。

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