『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
昨日は色々と疲れていたので今日はお手伝いを休む。
予めそれは宮司さんに伝えてあったので決して国芳さんと夜を明かしたせいではなく、たまちゃんにもゆっくりしていて欲しいと言って今日は縫い物をしたり、今は庭を散策したりと一人で過ごしていた。
「よいしょ、と」
濃緑の袴の裾を少し畳んでしゃがむ。
その先には小さい、可憐な丸い花弁を持つ白い花の群生があって、なんだかたまちゃんみたいに可愛いな、バラ科かな、と眺める。
私に与えてくれた部屋は広く……そして誰の目にも触れる事はない。今のところ人間の私が生活をしていても誰かにそれを覗かれる事はなかった。
国芳さんたち以外に私を知っているのは神社の見習い猫さんの五兄弟くらいかな、と思っていたら。ぐるりと寝殿の外周を囲んでいる板張りの廊下の向こうで黒い着物が見える。
黒光さんだ、と特に気にせずに足元の白い花の観察を続けようとして気になったのは彼が腕に抱いている白い塊。
よくお願いごとの書かれた書状の乗ったお盆や束を抱えているからそれかな、と思ったけれど……それにしては大事そうに抱えているし、すごく白いし、柔らかそうな感じ。
「……たまちゃん?」
いや、そんな事は……と思う。
だって、黒光さんと玉ちゃんはそう言う感じには見えなかった。
たまちゃんがもともと人懐っこい性格をしていて誰にでも、黒光さんにも嬉しそうに接していたのは知ってるけど。
あ、座った。
どうしよう、なんだか見てはいけないものを覗き見をしている気がする。
草木に囲まれた中にしゃがんでいるから、黒光さんは私が庭に出ているのが分からなかったのかもしれない。
確かにここは私以外に誰も来ない、隠れて親密なやり取りをするにはうってつけの場所。
つい、見てしまう。
大事そうに両腕で抱えている白い塊に黒光さんが顔を落として――もしかしなくても、普段私と国芳さんがしているように匂いを吸っている?そうだとしたら私はなんて無神経な視線を。
もう、目を逸らした。
胸がどきどきする。
あの匂いを吸う行為は、愛情を交わし合うのと同じで親愛の行動だと私は認識している。
だから国芳さんとも、二人だけの時は遠慮なくしていたけれど。
何も私の居住区域の端で……恥ずかしい。
私がすごく恥ずかしい。
「国芳さん……少しお邪魔していてもいいですか」
「ああ、座布団ならそこに」
お前は妻なのだから入室に断りなどいらんと言っただろう、と国芳さんは私を迎え入れてくれる。
あれから私はそーっと、凄い変な体勢で草木の間を抜けて自分の部屋に上がり、遠回りをしながらお裁縫道具の入ったつづらを抱えて国芳さんの執務室に向かった。
「今日、黒光さんは……」
「ん?昨日の焚き上げでここを任せきりにした代わりに休みを取らせているが」
たまちゃんにも完全にお休みするように言ってある。
だからやっぱりあの白い塊は。
「黒がどうかしたか」
「え、いえ……その、なんと言ったら」
昨日、私と国芳さんは匂いや肌を濃く重ねていたにも関わらず、黒光さんのあんなに密やかで淡い光景を目の当たりにして頬に熱が上がる。
黒と白の色合いが重なっていた。私から見た黒光さんのしっかりした性格と、あの柔らかい毛並と同じくほわほわのたまちゃんの性格があんな風に混ざるのは、綺麗だったけれど。
訝しげな国芳さんの目に、二人の事を思って秘密にしておいた方が良さそうだと「猫の黒光さんは、どんな毛の色なんですか」と無難な話を振る。
でもこれ、無難なのだろうか?
「見てのままだ。黒毛の短毛。俺の毛は……まあお前も知っての通り中毛三毛の癖毛だがあいつの艶と張りのある黒毛はなかなか雌から人気がある」
確かに人の姿の黒光さん凛々しい。
人気があると言っても彼はきっと、たまちゃんに想いを寄せている。
私が神社の手伝いの為に黒光さんから事前に話を聞いていた時も「玉乃井から目を離さないよう、お願いします」と言われたのはほわほわしたたまちゃんの自由な性格についてではなくて、本当に黒光さんはたまちゃんの事が心配だったのかもしれない。
寝殿にいれば自分の目が届く範囲。
たまちゃんが自分の手から離れてしまうのが不安だったとしたらあの言葉は私に落とされた彼の本心。
上に立つ者の建前としての振る舞いの中に隠された心配と愛情……でもたまちゃんだって立派な神使として私の身の回りの事や神社の手伝いもこなしている器用な子なのだから、大丈夫。
「すず子さまー!!」
あれ、と開けてある戸の方に視線を向ける。
黒光さんに匂いを吸われていたのでは、と。
「どうした玉、嬉しそうな顔をして」
もう勝手に入ってきてしまうたまちゃんの手には綺麗な刺繍糸の細い束が握られていた。
「すず子さまにたまからのおすそわけです」
「それは……五色の糸か」
「はい!!」
どうぞ、とたまちゃんから手渡された束。
ぴん、と得意げに立つたまちゃんの白い耳。
木綿とは思えないくらいの艶やかな光沢と柔らかさを持つ刺繍糸。きっと上等な物か、こちらの世で一から撚られた物か。
普段、私の傍にいるたまちゃんと国芳さん専属の外交官みたいに忙しそうにしている黒光さんの事を考える。
「私が貰ってしまってもいいの?」
「もちろんです」
きっとこれは、黒光さんがどこか出先で手に入れて、たまちゃんに贈ったものに違いない。
それなのに私の為にいくらか解いてくれたなんて。
たまちゃんの得意げな表情から察するに、飼い猫が人間に戦利品やおもちゃを持ってくるのと同じ、なのかな。
信頼と遊び心と……たまちゃんは大切な物をわけてくれるほどに私の事を思ってくれている。
「ありがとう。大切に使わせて貰うね」
受け取る私に対して耳を倒し、金茶の目を細める嬉しそうなたまちゃんの表情に国芳さんも口元を綻ばせていて、私も自然と笑顔になっていた。