『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
「奥方さまがぬったのですか」
「これはこれは」
つづらの中に入れて来た巾着用の布。お宮参りの授与品を包むのに使ってください、と宮司さんに手渡す。縫製はミシンの方が綺麗だろうから、とまだ布のままだったけれど見習いさんたちも宮司さんも喜んでくれた。もちろん、たまちゃんから分けて貰った綺麗な五色の染めが一本に入った刺繍糸も使っている。
私のささやかな祈りが伝わりますように、とひと針ずつ丁寧に縫った。
それに大切なものを分けてくれたたまちゃんの気持ちも一緒だ。
にゃーにゃーと言わんばかりに人だかりになっているつづらに宮司さんも喜んでくれて、またいくらか布を分けて貰う事になった。
「すず子さま、よかったですね」
「たまちゃんのお陰でもあるからね」
今、猫の耳をしまっているけれどあの白い三角がでていたらきっと横に倒れて喜んでくれているに違いない。
朝の神社の社務所は温かい気に満ちていた。
朝は、そうだった。
「ごめんなさい……」
宮司さんに頭を下げる。
「とんでもない。すず子さんのせいでは」
どうか顔を上げてください、と宮司さんに言われても申し訳なさに胸が痛んでしまう。社務所の奥、普段は宮司さんが軽い事務仕事をしたりと控えている場所。
「すず子さんの奉仕の気持ちはこの神社、いえ……神様の事を思っての行動。私よりも遥かに神様に近い場所で、その神使である猫王様の伴侶となられたあなたが気に病んではいけませんよ。生まれて来た子供たちの為にこんなにも素敵な刺繍まで」
「はい……そう言ってくださると」
この日、私とたまちゃんの姿が写った画像と縁切りの噂話を元にマスコミからの取材の申し込みが神社に入った。しかもどうやら別の神社での取材の帰りらしく電話ではなく、直接の対面での取材交渉。
運悪く対応してしまったのが私だった。
確認させて貰った画像にあったのは緋色の袴ではなく、最近身に着けている濃緑の袴姿の私と緋色の袴姿のたまちゃん。
「人の美しさと言う物は外見で決めつけてはいけません。すず子さんのようにこうして誰かを思っての行動こそが……」
「ほとぼりが冷めるまで……どれくらいかかるんでしょう。この奥で事務仕事くらいなら出来るかと思うんですが」
「いえいえ、あなたは今や貴い存在となられた。それに私たちの事を考えて色々と工夫もしていただいて。少しの休息と思ってみるのはいかがでしょう。そうしたらまたその手をお借りしても?」
迷惑は掛けられなかった。
黙って隣に座っていたたまちゃんが私の白い着物の袖の端をぎゅ、と握る。
私たちのせいで、混乱を招いてはいけない。
――美人過ぎる巫女さんがいる神社。
しかも二人も。
私が気が付かない場所から盗撮されていた画像が写真共有サイトで公開されていた。
神聖な場所なのだから載せるな、注意書きもあった筈だ、と言う全うなコメントはどうやら遠慮のない大勢のコメントに流れてしまっていたようで。
「拝殿でご挨拶をしてから、帰りたいと思います」
「ありがとうございます。すず子さんのお陰でどれだけ助けられたか」
刺繍は続けさせてください、と布の行き来は見習いの子にお願いしようと話は決まる。せっかく、お守りや破魔矢の授与、絵馬や祈祷の案内などと慣れて来た頃のこの事態。今は身を隠した方が神社の為だった。
宮司さん、たまちゃんと一緒に拝殿に上がり、暫く来られないのだと挨拶をする。でも神様、わりと国芳さんの寝殿を駆けている気がするけれどこの場所で言葉を伝えることに意義がある。
玉串を捧げ、最後の一礼をした時だった。
置かれている丸い鏡に映る自分の顔が、まるで自分ではないみたいに見えてしまった。
「すず子さま……?」
ほんの少し、後ずさりをする。
今映ったのは本当に私なのだろうか。
暫くお化粧もしていないのに私のまつ毛、あんなに長かったっけ……肌も透き通って、表情も。
「すず子さん、もしや今……ああ、そうなのでしょう。鏡は自らと向き合い、その内面を写すとされています。もし今、ご自分の普段のお顔と見方が変わっていたとしたら」
あなたならきっと、と言葉を添えてくれる宮司さんだったけれど確かに自惚れじゃない……私は、私の顔つきが、変わっていた。