『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 神様そのものの姿を人間は見てはならない、と聞いたことがあったから国芳さんから問題ないと言われて胸を撫で下ろす。
 いつまでも廊下にいては、と付き添われながら自分の部屋の寝所に戻ったのだけど……国芳さんは私の布団の上に胡坐をかくように座り、私を背後から抱いたまま離してくれなかった。
 私も抱かれたまま足を投げ出してどうする事も出来ず、お腹の前でしっかり手を組まれているので逃げ出せなかった。
 恥ずかしいから離して下さい、と言っても聞く耳をふい、と動かすだけで全然聞いてくれない国芳さん。
 確かに私は腰が抜けてしまってすぐには立てなかったけれど神様が私の体の中にあったお酒を涙にして抜いてしまったのでぐらぐらとした感覚はもうなくなっていた。

 「俺は狡い。口では帰す気があると言っておきながらお前の事を……全く、何が猫王だ」
 「ここでの暮らしに慣れてきていた中でふと思い出して、急に怖くなってしまって。私は人ですから、清い神域で俗な現世の事を忘れてしまっても、きっと……仕方のないことなのかもしれません」

 ぽつぽつ、と胸の内を告白した私に対して国芳さんは服や持ち物はつづらに入れて大切に保管していると教えてくれた。
 住んでいた場所もどんな事をしたのか分らないけれどそのままになっていて、会社とかも全部、つじつまが合うように“どうにかして”しまっているらしい。

 「何もかもが俺の我が儘だ。一方的で、振り回して」
 「……国芳さんとの生活、とても楽しいですよ」
 「だが」
 「自分がどうなってしまっているのか、心が追いつていないのは本当です。でも、この匂いが……」

 無意識なのか、私の頭に頬を寄せていた国芳さん。
 私は体を少しずらして寄りかかるように見上げ、お腹の上で組まれている国芳さんの手に自分の両手を重ねて握る。

 「あなたを、愛させてください」

 重なる匂いが全てだった。
 どんなに素敵な香水にもかなわない。
 うっとりするような、それでいて胸の奥をくすぐる甘く自然な香り。

 「ずっと、国芳さんのそばに」
 「ああ。俺も、お前を……すず子を永久(とわ)に愛そう」

 この先、私の肉体と魂がどうなってしまうのかはきっと神様だけが知っている。普通に歳をとるのか、それとも短いのか、長いのか。

 私には分からない。
 でも人間だってそう。
 そうやってずっと生きて来た。

 現世では野良猫だったたまちゃんも国芳さんに拾われて、今の時間を天真爛漫に謳歌している。
 それを思うと私もきっと大丈夫なのだと思える。
 だってたまちゃん、毎日が楽しそうなんだもの。

 それから夜通し、国芳さんとお話をしていた。
 これからの事、現世での私の存在をどうするか、と。それはとても大切な事だから、とまた話は近い内にしよう、と二人で決める。

 朝が近く、白みだす庭。
 寄り添うように、支えあうように座っていた。
 眺めてみるか、と几帳を少しよけて戸を開けてくれる国芳さんは露をたたえた草木が光るこの時間が好きなのだと教えてくれる。布団の上で互いに足を崩している内に私の体はするりと落ちて、彼の膝のそばで丸くなる。体に掛けてくれる美しい羽織りものには国芳さんの匂いと温もりが残っていた。

 「綺麗ですね」
 「ああ」

 そっと私の頬を撫でる指先。
 そう、私が猫だったら絶対にごろごろと大きく喉を鳴らしているに違いない。

 「猫になった気分です」
 「俺も、猫を撫でているようだ。猫なのにな」

 下から国芳さんを見上げる。
 猫の気分の私はそのまま彼の膝に擦り寄って、瞼を閉じる。

 残念だけど、ほとぼりが冷めるまでは神社のお手伝いには暫く行けない。
 でも、その間に私は自分の身の回りの整理をする。
 猫の神使の頂点である猫王、三条国芳の番となる為――俗世から少し、離れる準備をする。

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