『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 神社の本殿の裏手に出た私たちは参拝者が引いた所で神社の社務所に顔を出す。
 今日の願い事を書き留めているのは長男の子で、社務所に詰めている四匹の子たちは国芳さんの突然の来訪に人の姿のまま垂直に飛び上がる。三角の耳も一緒に飛び出てしまい、全員が頭を押さえていた。

 そんな彼らの姿に笑ってしまうのも可哀想だったけれど「フギャー!!」と言う彼らの声に気が付いた宮司さんが奥から出て来てくれる。

「御夫妻でいらしてくださるとは」

 神社の宮司さんは他の仕事と兼業をされている方も少なくないそうで、本業はサラリーマンだったり農家さんだったり。神職などは副業にはあたらないと言う事で市役所などの公務員の方もいるそうで、保育園や幼稚園を経営されている宮司さんもいるとか。
 この神社の宮司さんも地域の不動産を幾つかお持ちで、私の人としての仮の身の置き場――宮司さん直々に提供して下さったアパートは神社の目の前にあった。道を挟んだ向こう側にある、とのこと。

「アパートのこととか、何から何まで有難うございます」

 住所を移しても郵便物などは届くようになる。
 それらの手続きも色々あるし、会社もどうなっているのか。荷物も置きっぱなしだけど……慌てふためく見習い猫さんたちを見て笑っている人がどうにかしてしまったとしてもやらなきゃいけないことは沢山あった。
 両親にも仕事を辞めて引っ越しをする事を……それでどうするんだ、と言う“これから”の話をどう伝えるか。人ではない人と結婚します、とは流石に言えない。
 それはまた国芳さんの仕事の合間を見て、二人で話し合わなきゃならないこと。

「早速、鍵を渡しておきましょう。すず子さんも大変でしょうが奉仕の気持ちと姿を我々は知っておりますから」

 宮司さんから受け取る鍵と言葉にもう一度、お礼を言う。
 焦らなくていい。国芳さんもそう言っていた。
 だから一つひとつ、やらなくてはいけない事を解消して行こうと思う。

「猫王様とのデートですね」
「え、あ……そうですね」

 言われて恥ずかしくなってしまう。私は三十、国芳さんの見た目も四十手前。見た感じではそこまで年齢は離れていない。だから一緒に仲良く歩いていてもおかしい事なんて何もないのだけれど。

 頬に熱が上がる。
 装束を纏い、たまちゃんと一緒にこの神社でのお手伝いが暫く出来ない間、自分の身の回りの事をすると伝えた時の宮司さんは優しかった。
 今のアパートの家賃とか、神社の近くに移るなら住所をどうしよう、と国芳さんに相談した時に「仮の住みかなら宮司の爺さんに聞くと良い」と提案してくれた。なんだか虫が良いような気がしつつも宮司さんに訳を話せば「それなら私の持っているアパートを」と言ってくださって。もとはどうやら神社にお勤めする方の社員寮の為にお持ちになっていたそう。

 宮司さんからも「行ってらっしゃい」と送り出して貰い、私と国芳さんは初めて二人で神社の外に出る。


 デート、と言う宮司さん言葉を思い返すとやっぱり恥ずかしい。
 それにどうしても、国芳さんの顔は人の目を惹く。

 でも本当に今日はデートなのかな、と自分ではアパートへ片付けと荷造りに行くつもりだったのだけど意識してしまうと十代の恋愛をしているかのような胸の高鳴りがうるさくて、まともに話が出来なくなってしまう。
 路線バスと電車を乗り継いで、国芳さんは変わっていく風景を興味深そうに眺めていた。

 少し遠出になってしまう事は黒光さんにも、宮司さんにも伝えてある。
 だからもしかしたら神社の閉門まで間に合わないかもしれない、と伝えたら門の脇にある職員用の通用口の鍵まで預かってしまった。


 そしてついに、私は自分の借りているアパートまで戻って来た。
 不思議とそこは時が止まっていたかのように埃もなく、あの日出て行ったまま。心配だった冷蔵庫を開けても、賞味期限はとっくに切れている筈の食材も何も傷んでいない。もしかして国芳さん、私のこの部屋の場所を知っていた……?どうとでもなる、ってこの空間の時間を止めてしまっていたとしたら。

 引いたままの白いレースのカーテンから差し込む秋の日差しが眩しい、と思ったらいきなり国芳さんに肩を掴まれてしまう。

「国芳さん、やめ……て、こんな所で」

 たどり着くまではおとなしくしていたのにいきなりぐい、と強引にラグの上に押し倒されてしまった私はゆっくりと覆いかぶさって来る人の肩を押す。そう言えばさらわれた時もこんな感じだった。

「濃い匂いにあてられた」
「もう……それなら窓を開けるので退いてください」

 閉め切られていた私の部屋。
 私だけしか生活をしていなかった小さな部屋。
 普段は意図的に匂いをかぎ分けていると言う国芳さんでも、相当なものなのかもしれない。

「あ、ちょっと」

 その手つきは駄目、と私の太ももを撫でる手を掴む。
 今日は片付け、荷物の仕分けをするんですから……あと、完全に人の姿で、ジュアルスーツを身に着けているいつもと違う国芳さんの姿を見た時から私はとっくに“あてられて”いる。

 それに来る前からずっとどきどきしていたなんて本人に言えるわけがない。人の目からすれば国芳さんはモデルさんみたいな立ち姿、誰だって……気になってしまうくらい格好いい人なのだから。

< 32 / 77 >

この作品をシェア

pagetop