『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
それから暫くてきぱきと作業をして神社に戻る前に駅の中のお店に寄りましょう、と時計を確認する。
スマートフォンも一応充電して、本当に今日は荷物の仕分けや片付けだけで一日が終わってしまったし、国芳さんの手も借りてしまった。
どうやら私に関する時間が捻じ曲げられている、と確信したのは充電が切れて電源が落ちていたそれを起動させた時。メッセージアプリとかの通知が私がこちらにいなかった期間だけごっそり抜けていたようで今、戻って来たことによってお買い得なチラシ情報などの通知が一つだけ届いた。
昼下がり、アパートの鍵を閉める。
そんな私の肩には大きなトートバッグが一つ。
今度こちらに来る時用の服とカーディガン、下着が数枚。
「すず子」
「はい」
呼んでくれる声に振り向くと国芳さんは「俺が持つ」と私の肩からトートバッグを下ろして自らの肩に掛けてしまった。一体どこでそんなエスコートを覚えたのか不思議が尽きない。
「寄る場所があるんだろう?」
「ええ、たまちゃんと黒光さんにお土産を……こちらの物をあまり持ち込むのも良くないと思うので一つずつですが」
そうか、と国芳さんの口元が緩く弧を描く。
私の脳裏にも笑顔のたまちゃんがいて、きっと私たちが戻って来るのを黒光さんと……でもそれならもうゆっくりしながら帰っても良いかもしれない。
駅に向かう道すがら「腹は減らないのか」と隣の国芳さんが問う。
確かに、前より食事量は格段に減ってしまったけれど体の維持は出来ていた。でもそれは人間にとって最低限、なのかもしれない。
私は神様の仰っていた「私の気が馴染んでしまった」の言葉に、薄々勘付いていた。まだ今は心が追い付いていないだけで既に体は向こうの環境の方に順応している、と。
「……少し、寄って行きましょうか」
駅が見えてきたあたりで私が時々、美味しいコーヒーが飲みたくなって行っていた喫茶店が目に入った。
お店は落ち着いた内装。小さくクラシックが流れる所なら国芳さんにもうるさくないかな、と思いきって誘ってみる。
国芳さんが私のお腹の減り具合を気にするのは多分、あの時の罪悪感があるからだと思う。
私も今は遠慮なく、宮司さんから頂いたお菓子などを食べてしまっていたけれど彼は私が倒れてしまわないように、気にしてくれている。
倒れた時は確かに、人間で言う所の脱水や低血糖の状態だった。
「国芳さんはコーヒー、飲めますか」
「ああ。爺さんが淹れたのなら飲んだ事がある。俗世の食事は大体、爺さんが教えてくれた。その前の宮司……爺さんの親の世代は堅物でな。まあ、物の無い時代でもあったが」
宮司さん、普通に国芳さんの事も餌付けしていた。多分、見習いの五兄弟と国芳さんに現世の食べ物を与えている事を知ったら黒光さんは怒るんだろうけど純粋に宮司さんは猫が好きなのだと思う。
そうでなきゃ高そうな減塩猫用煮干しなんて選ばない。通販したのかな。
「冷たい方は飲んだことありますか」
「いや……あるのか」
興味を持つ時の国芳さんの目元がちょっと見開くのがやっぱり猫さんの仕草。
「ふふっ」
つい、笑ってしまえば少し恥ずかしそうに視線を反らす。
一緒に暮らすようになって、段々と覚えて来た彼の仕草のひとつひとつがとても愛しい。
「では冷たいコーヒーを二つと、そうですね……ホットケーキを頼みましょうか」
これは紛れもないデートだった。
人の姿をした国芳さんと一緒に向かい合って座っていれば傍目からもそう見えるに違いない。