『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 国芳さんの“花嫁衣装”と言う言葉に心臓がどきどきする。
 あれからもカジュアルスーツのまま居座ろうとする国芳さんをお部屋に帰して私は一人、お風呂に入りに来ていた。

 今朝は完全に人の姿になった国芳さんのスーツ姿、途中で宮司さんには「デートですね」と言われ、私の匂いが濃く残っていたアパートでは国芳さんに押し倒されて、たまちゃんが大変で、花嫁衣装が届いて。今日はずっと鼓動が忙しい。
 たまちゃんと黒光さんのすれ違いも気になるけれど私の花嫁衣装を……確かに、国芳さんは猫の御使いを纏める人。その奥さんになるのだからお披露目みたいな事はしなくちゃいけない。

「どうしよう」

 両手で頬を覆ってしまう。
 不安が大きすぎる。第一、私はまるで隠されているかのように他の猫さんたちの事を見かけていない。
 頻繁に会うのは神社の見習いさんだけだった。
 あの神社は国芳さんが直にお仕えしている本社で、他にもいくつか分社があるそう。その分社に仕えて人間のお願い事を代筆している神使さんや見習いさん、それに神様のいらっしゃる神殿で身の回りのお世話をしたりお庭で自由にごろごろ?している沢山の猫さんたちがいるそう。

 人の姿になれるのはごく一部の猫。
 そんな特別な猫さんに――人間の私が、国芳さんの奥さん、つがいとして……。

「うう……つがい、って」

 でも、私は国芳さんの匂いが好き。
 だから大丈夫、大丈夫、と言い聞かせる。
 それに神様だって祝福をしてくださっているのだから何も怖いことは無い。

 たまちゃんと黒光さんが私の花嫁衣装を……どんな物を選んでくれたんだろうか。私の普段着は白い小袖に濃緑の袴。もとは国芳さんが肩に掛けていた豪華な刺繍の羽織りものを肩に掛けていたり、いなかったり。
 明日、奥の部屋に掛けてあるから見に行くといい、と言っていたからそれはとても楽しみだけど。

 たまちゃん、好きな人に他の猫の女の子の匂いが付いていたのは流石につらいかも。
 私の嗅覚が人間の物だから分からないけど、もし国芳さんが人間で、知らない女性の香水を濃いめに付けて帰ってきたら――たまちゃんの気持ちはよく分かる。
 どんな状況だったのか、それが不可抗力だったのだと説明されても一日は確実に落ち込む。

 なにより、最良の番となるには匂いの相性が一番重要なのだと言うから……なおさらだ。

 考えすぎてのぼせそうになったところでお風呂から上がって、現世の下着は身に着けなかった。
 腰巻にも慣れちゃったな、と紐を結んで寝間着に着替える。
 そして部屋に戻る為に夜の板張りの広い廊下を歩く。
 この暗さが時には怖く感じたりもするけど今は火照った体にそよいでいる風や静けさが心地いい。
 庭の景色が少しずつ秋に向かって、ススキの若い穂が目立つようになって来たし、桔梗の蕾も膨らんできた。

 月の明りに照らされて……国芳さんの癖っ毛の色も白く輝いてとても綺麗だった。黒、白、茶、光の加減で変わる不思議な色あい。

 気が付けば私、いつも国芳さんの事を考えてしまっている。
 愛してくれているとつい、こちらから気持ちを伝えそびれてしまうことも多くて、もっと積極的になってもいいのかな、と猫の習性を思い出して考えながら自分の部屋の前に通じる廊下に差し掛かった時だった。

 さりさり、と羽織りものを引く国芳さんがちょうど私の部屋の前に辿り着く所だった。

「ひと肌が恋しくなった」

 さらりと言いのけてしまう人。

「私も、あなたのことを考えていました」

 今日は本当に色々な事があった。
 お風呂で体を癒した私と同じく、まだうっすらと湿気ている匂いのする国芳さん。特に何をするでもなく、二人で布団に横になって肩を並べれば背の高さが違う私と国芳さんの目線がちょうど合う。

「すず子の人の子としての生活の痕跡を見て、考えていた。俺はお前から人の営みのすべてを奪ってしまったのではないのか、と」
「それは……間違っていませんね」

 そう、間違っていない。
 私は勝手にさらわれてしまった。
 一方的な愛情を向けられて、でも……どうしてだろう。日を重ねるごとに、この匂いに惹かれていったのは事実。
 国芳さんの凛々しい見た目も、私は俗な生き物だから惹かれてしまうし。

 向かい合い、肘枕をついていた国芳さんは私の本心の声に視線を逸らしたけれど、きっと届いたと言う花嫁衣装の事もあって改めて、悩んでしまっているのかもしれない。
 私もさっき、一人で呻っていたくらいだもの。さらった側からすれば、ね。

「私に残っていた死相、と言うのは……もしかして国芳さんが私の事を騙してお腹が空きすぎていた時の事を指していたのかも。あのままだったら本当に」
「あ……ああ、そうか、それだったのか」
「言った本人が気づいてなかったんですか」
「相は見えてもそれ以上は……」

 あ、耳が横に動いている。
 どうやら本当に気づいていなかったらしい。

「大凶だったおみくじも、少しずつ吉に向いているみたいですね」

 今ならそう思える。
 “これから良くなる”と言ってくれた人と一緒なら、きっと。
 なし崩しでも良い。それが私の運命だったのなら、こんなに愛してくれる人の傍にいられるのならなんであろうと構わない。

 遅くに眠ったから、夜が明けるのは早かった。
 隣には国芳さんが瞼を閉じていて、気づかれないように私はそっと頬を寄せて、彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

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