『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
第八話 花嫁衣装

 夜が明け、私の寝所から離れるのを渋る国芳さんをお部屋に帰すと昨日、そのままになってしまっていた荷物の入ったトートバッグを開く。
 一番上にはたまちゃんと黒光さんに一枚ずつ買って来た風呂敷があるのだけど……いつ渡したらいいのだろうか。たまちゃんはあんな状態だったし、黒光さんから先に渡してもいいけれどやっぱり二人が揃っている時に渡したい、かな。

 選んでくれたと言う花嫁衣装の小袿はもう、掛けられていると言うので見に行きたいけれどそれはたまちゃんと一緒がいい。

 とりあえず、つづらの中に服やバッグもしまって……たまちゃんはどうしてるんだろうと心配になる。小さなしっぽを丸めて、華奢な体は少し震えていた。
 悲しい、の気持ちがあの温かな体温からも私に伝わって来ていた。

 そう言えば私はたまちゃんが寝起きしている場所を知らない。
 寝殿で国芳さんや……今は私の身の周りの世話をしてくれているから敷地外と言う訳では無さそうだけど、でもこちらから顔を出すのも図々しくて聞くのを躊躇ってしまっていた。

 ああ、駄目だ。
 考えがぐるぐるとまわり始める。

 気持ちを落ち着かせる為に朝の散歩にでも出ようか、と考えていた時だった。

「すず子様、少々宜しいでしょうか」

 引き戸の向こうから気配もなくいきなり声がして、肩が思い切り跳ねる。

「っはい!どうぞ」

 声の主はすぐに分かったから開けっ放しのつづらの蓋を閉じて脇によける。

「お休みの所、申し訳ありません」

 それはこっちの台詞で……今日はお休みの黒光さんが多分初めて、お一人で私の部屋を訪れる。しかも手には銀色の組紐が握られている。
 それって、国芳さんがたまちゃんの五十歳のお祝いに贈った大切な物だった筈。彼女もそれをとても気に入っていて、猫の姿の時も人の姿の時もしっかりと首元にあった。

「どうぞ、座ってください」

 私が座布団を出す前に黒光さんは板の間にそのまま正座をしてしまった。
 差し出そうとすれば断られてしまう。

「昨夜は玉乃井がご迷惑を」
「いえ、そんな。信頼してくれているからこそだと私は思っているんですが……えーっと」

 その組紐は、と私から話を切り出す。
 もし、黒光さんが武士だったら今にも切腹しそうな雰囲気だったからだ。
 私の方から話を引き出した方が絶対にいい。

「玉乃井に返して頂きたく」
「ええ、それは構いませんが」
「どうやら私は嫌われてしまったようで」

 それは、きっと違う。
 たまちゃんは、ちょっと悲しかっただけだったと思う。
 国芳さんから聞いてしまった話をしていいものなのか悩むけれど、そんな深刻そうな表情と倒れた黒い耳を見てしまうと私も少し、黒光さんの口から話を聞きたくなってしまった。

「たまちゃん、いつも黒光さんのお話をしているんですよ」

 人懐っこいたまちゃん。
 同性の話し相手になった私に本当によく、お話をしてくれている。

「ああ……あの子は私が魂を、常世に返さなかったから」
「国芳さんがお庭に連れてきて、と言う話は聞いていますが」

 黒光さんのたまちゃんと同じ金茶の目が私に真っ直ぐ向いている。
 猫さんは視線を合わせる事を苦手としているけれど、それくらい今は彼にとって真剣な話なのかもしれない。

 昨晩、国芳さんが言っていた事は本当だったのだと語り始める黒光さんの言葉に私は黙って幾つか頷く。
 別に国芳さんが私に嘘をつく理由もなかったけれど、あの人は私に対する大きな前科があるので……でも、黒光さん本人が語ったことと、国芳さんから聞いた話とで相違はなかった。

「たまちゃん、かわいいですからね。真っ白で、ふわふわで、毬みたいに跳ねて」
「ええ、玉乃井は名の通り玉のように跳ね……」

 ぱっと黒光さんの頬に朱色がさす。
 どうせ私と国芳さんの仲も明け透け状態なのでもうここは潔くいきましょう、潔く、と私も黒光さんの表情の変化には言及しないで話を聞く姿勢をとる。

「玉乃井を怒らせたのは私の行いが軽率だったからです」

 怒らせた、と言うよりは悲しさが勝っていたように思えるけれど……それにたまちゃんの大切な組紐がほどけてしまったなんて、本当に何があったんだろうか。

「他の雌に言い寄られて……私には番にしたい者がいると相手にはしっかりと伝えるべきでした」
「つがい……たまちゃんと、ですね」

 黙って、それでもしっかりと頷く黒光さんは自分たちの仲を観念したように話し始めてくれる。

「感情が激しく揺れ動いたせいで玉乃井は人の姿を保てず……猫の姿に戻ったあの子を引き留めようとした時に大切なこの組紐に私の指先が掛かってしまい、無理に身を捩った際に首から抜けてしまって」
「たまちゃん、怒っていたと言うよりは悲しい、と言う感情の方が強かったように思います。私、お腹の上でずっと抱っこをしていたのですが小さな手が縋るようにぎゅっと、食い込んでいたので」

 黒く艶のある耳をずっと左右に倒したままの黒光さんの手元にある組紐。それは本人から直接、返した方がいいと私は思う。

「あの、私も軽率な事は言えませんが……黒光さんの手ずから返してもきっと大丈夫だと思いますよ」

 その時、廊下に出してあった几帳の端が風もないのに捲れたように小さく揺れた。

「玉乃井……」
「あっ、走って追いかけては駄目です。本当にたまちゃんが怖がってしまうかも」

 焦る気持ちを抑えて、と黒光さんに伝える。
 おかしいな……私は人で、猫じゃないのに黒光さんに説教に近いことを言ってしまっている。でもそれくらい、黒光さんは焦っているようで今にも走って追いかけてしまいそうだったから。

「すず子様は猫の生態をよくご存じですね」
「好きですから……ね、そっと追い立てないように、静かに」
「ええ」

 板の間からするりと立つ黒光さんは「失礼ながら横切らせて頂きます」と私の目の前を、白猫の姿のたまちゃんが行ってしまった方に向かって歩いて行く。私はその背中に「きっと大丈夫ですよ」と心の中で声を掛けた。

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