『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
そして翌日。
本格的に私のお披露目の為の準備が始まる、との黒光さんからの説明を受けた後に、今までのお礼の気持ちとして一枚の黒い風呂敷を渡せばそこに描かれている白猫の姿に黒い三角の耳がぴく、と動いた。
「ちなみにですが、たまちゃんには白地に黒猫さんが描かれている物を贈りました」
「すず子様、あなたと言う方は……有り難く、頂戴致します」
軽く咳払いをしつつも満更でも無さそうで私の口元が緩んでしまいそうになる。
「披露目はすず子様が普段見渡されている庭の西側で執り行うので暫くは御簾を下ろし、幾つか几帳を増やします。好奇心からお顔を覗きに来る者がいたら玉乃井から叱るように言ってありますので」
準備作業をしている間は危ないので庭に降りられない、と聞かされる。騒がしいようだったら昼間は執務室に詰め、空き部屋となる国芳さんの部屋で過ごしていても構わない事を聞かされ、頷いた。
その日の昼。
いつも開けっ放しだった私の部屋の庭に面している所の御簾が下ろされ、部屋の中にも几帳が置かれて……たまちゃんどこから出して来たの、と一緒になって自分の周囲を固める。
ここまでしなくても、とは思ったけどこちらにはこちらの作法があるのだから致し方ない。平安時代では貴族の女性は家族や夫以外の男性には素顔を見せない習わしがあるからそれを今でも踏襲しているのか、でも“覗きに来る者”と黒光さんは言っていたから習わしと言ってもゆるいのかもしれない。
奥まった、中央にある国芳さんの部屋なら確かに特に几帳など用意しなくても大丈夫だけど私の部屋は“庭がよく見渡せる場所”を選んでくれていたから人目につきやすい。
そう言えば作業をしていても私が首元に留めている組紐に付いている金の鈴が鳴らなくて不思議だな、と思っていたら――たまちゃんの首元にいつも掛かっている筈の国芳さんから贈られた組紐が無い事に気が付いた。
「たまちゃん、組紐……」
「それがですね」
えへへ、と白い耳をぴょこぴょこさせながら「黒光さまに預けてあるんです」と言う。
「すず子さまの組紐かわいいなーっていったら、黒光さまが少し預けてくれないか、って」
「と言う事は……」
リメイクだ。
こちらで言うところの仕立て直し、かな。国芳さんが私に贈ってくれたこの首飾りの片方の端には丸い、小さな水晶を磨いたような玉が結び付いていて、反対の端には小さな輪。きゅっと先端同士を引っ掛けさせて留めるから自分で結ぶより着脱がとても簡単だった。
「国芳さまにもうかがったら良い、とおっしゃったので……すず子さまのお披露目までには出来上がるそうです」
白い耳と切り揃えられた髪を揺らしてもじもじしながらも嬉しそうにしている姿を見ていると私まで嬉しくなってしまう。
でもたまちゃんはキス……人の姿のまま口づけをしようとした黒光さんに怖くなって泣いてしまったらしいけれど猫と猫の場合はどうなんだろう。
猫さんはよく、鼻の先をちょこっとくっつけて挨拶をしている。
でもこれは二人の話だから、と自分に言い聞かせるしかない。
几帳をどのあたりに置いたらいいのか、と私が部屋の中に座って、たまちゃんが庭に降りて微調整をしていれば黒光さんが様子を伺いに来てくれた。
なんとなくだけど、黒光さんが私に正直にお話をしてくれた後から、もう吹っ切れてしまったのか絶対に私の様子とは名ばかりに“たまちゃんの”様子を見に来る頻度が多くなった気がする。
「神が突然、披露目に対してやる気を出してしまいまして……すず子様の御髪を伸ばさせるだの化粧など要らぬ程の美貌にするなどと息巻いておいでです。もし朝起きて、御髪が床を這う程になっていたらそれは神の悪戯ですのですず子様、どうか大人しく享受してください」
「神様……一度、野ねずみではないお姿を拝見したのですが」
「輝くほどに美しい御方でしょう」
「ええ本当に、白い蛍のような、夜だったのにきらきら光ってました」
「本来のお姿で顕現されるとは本当にすず子様は神に気に入られたようですね。ああ、玉乃井の時もそうでしたが……」
こうして黒光さんが立ち話をしていく回数も増えている。
「すず子様ならご存知かと思いますが女神は女人を嫌う、と言われていますし現にそう言った神もいらっしゃいます。ですが我々の神は少々奇特ゆえ」
話も前より深い所まで教えてくれるようになった。
でもちょっと、神様には……髪の毛の長さだけは当日かその前くらいにして欲しいです、と小さく願ってしまう。まだ私には用事が山積みで、現世とこちらを頻繁に行き来しなくてはならなかった。