『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 昼となり、閉め切りとなっている俺の部屋の前まで戻ってみれば黒が口元を押さえていた理由が分かったが動いている気配は無い。横になっているか、と部屋に入り、隣の寝所に繋がる戸を静かに引く。

 目を見開いた。
 中に入った途端、そのむせ返る花の甘い匂いは俺の本性を押さえている理性を掻っさらい、心臓もどくりと強く脈打った。
 だがすぐに気を取り直し、寝台を囲うように四方に置いてある几帳の隙間から中を覗けば眠っているすず子の姿があった。何故か俺の布団と枕の方に体が自由に伸びているが……本人が眠っているのならそのままにしておいた方がいい。

「ん……っ」

 気配を察知したのかそれとも俺の匂いをーー近頃、人の子が持つ感覚と、すず子の持つ感覚に明らかな差が出始めている。
 僅かずつではあるがそれは確かに、鋭くなってきていた。それもこれもそう、俺のせいなんだがな。

「国芳さん……?」

 目の前で猫のように伸び、しどけなく寝ころんでいる妻の姿を目の当たりにして抑えられる欲望がどこにあると言うのだろうか。
 とりあえず何が起きてもいいように風呂だけでも、とまだ眠そうなすず子に「湯あみをしてくる」と言ってまさしく逃げるように風呂場へ向かう。しかしそこにもすず子の気配が残っていて、俺はもう自分のこらえ性の無さに項垂れるしかなかった。

 すず子の柔らかな胸元や太もも、腹の質感……猫の姿で少しでも爪を立てたら裂けてしまうような薄い皮膚。
 首筋に牙を剥けば深く食い込んで、すず子はたまらず悲鳴を上げていた幾つかの夜。

 湯に浸かっても、不埒な欲望が俺を責める。欲を抱くのはすず子に対してだけだが神域の清い湯ですら洗い流せない程の強い愛欲は流石に不味いな、と思ってしまう。


 風呂から上がって寝所に戻ってみればすず子は布団の上に足を崩していつものように座っていた。

「あの、国芳さん……」

 そのなめらかな頬が赤くなっている。

「すず子、その体の変化は“発情期”だ」
「えっ……あー……そう言うのって、人間では」
「俺の知る限りでは起こらないだろうがお前は俺と通じてしまったからな。流石にどうなっているかは俺も分からん」

 俺の気と神の気と、すず子本人の持つ気の三つ全てが複雑に混ざり合ってしまっている。それもよく馴染んで、だ。
 猫のように自由に寝そべっていた姿もーー俺たちはあくまでも人の姿に近いまま暮らしていると言うのにさらって来たすず子は今では時折、猫のような仕草を見せるようになった。

「たまちゃんもそわそわしていたし、黒光さんも様子がおかしかったのって」
「お前の発する匂いに軽くあてられていたようだな」
「それなら……今、国芳さんは」

 番である俺を見上げているすず子の潤んでいる瞳。
 匂い立つその身に纏う布を剥ぎ、今にもそのなめらかな素肌に手を掛けてしまいたいなどと言ったらどんな顔をするのだろうか。

「人払いならしてある」

 きゅ、とすず子の唇が結ばれる。
 俺の言葉の意味をすぐに察せるからこその切なそうな表情。
 俺もいつまでも几帳の横に立っていても仕方が無く、足を崩して座っているすず子の隣に腰を下ろせばおずおずと俺の様子を伺うように擦り寄って来た。

 匂いが、濃い。

「……しても、いいですか」

 番が、俺の愛する妻が夫の胸元に顔をうずめて消え入りそうな声で問う。これを拒む奴がどこにいると言うのだろうか。
 返事の代わりに抱き上げるように互いに横になり、柔らかな唇を奪ってしまえば俺の腕を掴む指先が立って爪が食い込む。
 控え目なすず子の舌先はざらつく俺の舌に絡め取られまいと逃げているが次第に観念して、されるがままになっていく姿が愛おしくてたまらない。

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