『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 夜、私の寝所に来てくれた国芳さんは相変わらず晩酌がお好きなようで、手酌をする前に私が入れ物の瓶子(へいし)を手にして盃に注ぐ。
 私は既にお茶を頂いていたのでそのまま、和三盆の小さな干菓子を口にしていた。

「どうやらすず子の話が神のいる神殿にも広がったらしくてな。特に今日、物見遊山をしにわざわざこちらに降りて来ていたあいつらは……元は人の子に飼われていた飼い猫たちだ」

 国芳さんの言葉に確かに……特にキジトラさんが人慣れをしていると言うか、現世の地域猫や野良の子とは少し違う印象を受けていた。

「本来、普通の猫ならば神域内や神の傍で気が済むまで暮らし、転生をする。しかしその際には過去の記憶が消えてしまう」
「それじゃああの猫さんたちは」

 飼い主さんとの良い思い出が沢山あったのかもしれない。
 その大切な記憶が消えてしまう事がつらくて、と少ししんみりしてしまう。

「殊の外、あいつらの飼い主が長生きでな」
「は……」
「飼い主も言わば“天国”に来るのは決まっているらしいんだが、いくら待っても来ないんだよ」

 来れば再会出来るんだが、と軽く言う国芳さんに私は手にしていた小さな干菓子を落としそうになる。

「キジトラの飼い主の婆さんはもう百になる。いや、越えていたか」
「すごい御長寿な方ですね……」

 だろ?と笑う国芳さん。
 どうやら先に神域に来てしまった猫さんたち。確かに猫さんの寿命と飼われた時期や人間の寿命を考えると何十年と待つ事になる。

「人の子の気配が恋しくなったんだろう」
「でもあの、国芳さんは神様のもとにいる猫さんたちをみんな把握して」
「まあな……長く住んでいる奴らなら特に」

 これも神使の能力のひとつだよ、と言う。
 そして国芳さんや神使の方たちのお仕事は現世の神社や神様にお仕えする以外にも色々あるのだと言う。転生をする猫さんや飼い主さんと会いたい猫さんを会わせる為に働く猫さんもいるそう。

「私、知らない事ばかりで」
「仕方ないだろう。俺がお前をさらってきてしまったんだ」

 突然だった出会いにも「それもそうですね」なんて笑い合える心地よい仲。

 キジトラさんたちも人の姿になれるそうだけど長時間は厳しい、との事。
 たまちゃんも感情が激しく揺れた時はずっと白猫の姿だったし、神社に詰めている五兄弟の見習いさんたちも朝と晩は猫の姿でいるのを知っている。

「あ……そうだ。明日はちょっと現世に……神社の前にある宮司さんにお借りする部屋の換気と掃除をするので遅くはならないと思います。これからのお手伝いの事とか宮司さんとも打ち合わせをしたいですし」
「分かった。本来ならそろそろ玉も行かせてやりたいんだが……」
「一人で大丈夫ですよ。まだたまちゃんも忙しいみたいですし、遠出じゃなくて神社の目の前ですから」
「だがこう幾度も妻を一人で神社の外に行かせるのは……」

 心配する国芳さんに「私だって人としてはいい歳なんですから」と言えば少し耳を倒して不服そうにする。こちらに来てから初めて現世に戻った日は国芳さん本人がついて来ていた。

「手が空くのはお披露目の後くらいでしょうから、たまちゃんとはその時にお出掛けしようかと……あ、でも黒光さんが許してくれるかどうか」
「あいつ、玉の事になると過保護だからな」
「その時は国芳さんに口添えして貰って」
「ああ、相当骨がいるが……それがすず子の願いなら」

 ゆるく笑う国芳さんと過ごすなんでもない夜。

「すず子、腕を出せ」

 干菓子を摘まもうとした私は言われるままに国芳さんにとりあえず左腕を差し出す。盃を置いた国芳さんは私の枕元に置いてあった首飾りを手に取って輪にすると私の手首にそれを通した。

「丁度いいな」
「あの」
「念の為、明日はこれを着けて行ってくれないか。神社にある御守りのような物だと……妻を守りたいのは自然な事だろう?」

 さらりと言う人に頬が熱くなる。
 素直に頷けば国芳さんは安心したようにまた盃を手に取って、私を肴として傍に置いたままお酒を舐め始めたのだった。

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