『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


「なんだこの小娘は。人の子でありながら豊穣に列する神の気が混じっておる」
「あらあら、なかなかお嫁さんを貰わなかった三条だったけれど……ふふ、可愛い子ね」

 昼間だと言うのに薄暗い路地、引きずられて羽交い絞めにされてしまった私と背後から聞こえる男性と女性の声。そこに混じって鈴が鳴り続ける。

「煩い、頭に響く」

 身動きの取れない私。

「ん、ぐ……っ」

 身を捩ろうとしても逆にきつく、絡みつく。
 そこでやっと私は自分の体を拘束している“何か”の正体を知ってしまった。

 蛇、だ。
 しかも白い鱗をした大きな白蛇が私の体と首に絡んでいる。

「ねえ、愛しいあなた。人の子が苦しがっていますよ」
「そうか?それより“影”は」
「もう遠ざかったようです」

 足が竦みそうなのに、身動きひとつ許されずにきつく捉えられている私の目に涙が滲んだ時だった。
 私の体に巻きついていた大きな白蛇が一瞬で身を引いてしまったせいで膝からアスファルトの地面に崩れ落ちそうになる。

「すず子!!」

 ここは現世だと言うのに、急に現れたいつもの着物に豪華な羽織りものを肩に羽織った人が右腕を振り上げる。その指先は私の知らない獰猛な獣の手で、鋭い猫の爪を剥き出しにして……でも何かはっとしたような表情で私の体を抱き留めてくれた。

「おお怖い」

 すぐに羽織りもので私の体が包まれる。

「何があった」

 その言葉は私に掛けられたものではなく、私の背後にいる“何か”にきつく、問いただすように向けられた。

「その小娘、もう少しで“影”に襲われる所だったぞ」
「美味しそうな匂いがしますからね」
「冗談でも言うなよ……俺の妻だぞ」

 抱き留め、私の頭を胸元に抱き込んだ腕に力が入る。
 いつもと同じ華やかな匂いなのにどこか鋭さを持っているような、甘さが抜けているような気がして……私の知らない国芳さんの姿に心が揺れるとまた、小さく鈴が鳴る。

 その音に反応するようにびくりと国芳さんが体を震わせた。
 そして少し腕の力を緩めてくれたので私は恐る恐る、振り向くように国芳さんの視線の先を見る。

 そこにいたのは落ち着いた色合いの白いワンピース姿の女性。私より少しだけ年上の――人の年齢的に国芳さんと同じ世代に見えるような綺麗な女性が明るい灰色のスーツ姿の同じ年頃の男性に寄り添って「三条、とても可愛らしい人の子をお嫁さんにしたのね」と微笑んでいた。

「影に漬け込まれそうになるなと、披露目を前に嫁を“放し飼い”にしているお前が悪い」
「だから“鈴”を付けさせていた。それに妻には外出する理由がある」

 すり、と私の首元を撫でる柔らかな指の腹に少し、安心する。
 先ほど見てしまったのは国芳さんの鋭い爪の存在。

「あの、国芳さん……この方々はもしかして」
「白蛇の神使だ。次期の王たる格は持っているが今は黒光と同じような立場、と言えば分かるか」
「爺さんにはもう引退をしろと言っているんだがな」

 私の視線に目を細めてにこ、と笑いかけてくれる女性とその腰をスマートに引き寄せる男性。すごく、慣れている。

「気を付けろよ三条。たまたま俺たちが通りかからなければその小娘は影に気を穢されておったぞ」

 全く大切な披露目の前に何をやっているんだ、と国芳さんの事をしっかり諫める人を黒光さん以外に初めて見た。
 そして国芳さんも珍しくばつが悪そうにしている。

「そもそも蛇のお前たちがなぜ“俺の縄張り”に……いや、もう現世の蛇は眠りの準備に入る頃か」
「そう。山で冬眠をする子たちの様子を見て回るついでに旦那様とデートを」

 お二人の仲が良さそうなのは見て分かる。
 それに現世の、私達が日頃使っている言葉もご存じのようだった。

「それにしても三条、その小娘にお前はともかく神の気まで混じっているようだが……まあお前の所の神は人好き、物好きな女神だったな」

 俺が巻きついた時に感じた、と言う人にちょっとムッとしている国芳さんだったけれどどうやらお二人は私の事を助けてくれたらしいのでお礼を言う。そしてお二人それぞれからお披露目を楽しみにしていると言葉を頂いた。
 すると私と国芳さんの目の前で一瞬だけつむじ風が吹き、私が思わず目を瞑ってしまえばもう、次に瞼を開けた時にはお二人の姿は無かった。

「すず子、悪いが今日はもうこのまま俺と一緒に帰って来てくれないか。宮司の爺さんには後で使いをやる」

 ずっと抱き留めてくれている様子から察するに、私のことを深く心配してくれている人に黙って頷く。
 私も突然の事で心が揺らいでしまっていた。
 ぐ、と私の腰を引き寄せた国芳さんに抱き締められると体がふわりと軽くなってまるで宙に浮いたかのようにーーそれは一瞬の出来事。次に見た景色は現世の細い路地では無く、寝殿にあるいつもの西の門がある場所だった。

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