『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
そんな国芳さんが「少し、二人だけにしてくれないか」と黒光さんに声を掛けると頷いて……たまちゃんも三人の女の子たちもみんなが退室していった。
「すず子」
おしろいが薄くはたかれた頬に触れる指先。
表情を直視できなくて、瞼を閉じるように伏せてしまう。
すり、すり、と人差し指の背が伝う私の輪郭。
そして顎の下を撫でて、ちりんと鈴を弾く音が一つ。
「今日来るのは殆どが神使たちだ。お前の心の水面の揺れを音として感じ取ってしまうからな、術を解いた」
先日、白蛇の神使さんご夫婦にも鈴の音となって聞こえていた私の心の揺れ。
「この術は、離れている時だけで良いのかもしれないな。身の危険が及ばぬようにと思って着けさせたがお前の気持ちを分からぬようでは夫としてどうかと思うんだ。この甘い匂いに惚れてしまったからと、攫った我が儘まで受け入れてくれた妻の気も知れぬようでは」
緩く頷くように聞いていれば安心したように国芳さんは息をつく。
「私は気に入っていますよ。たまちゃんとお揃いになりましたし」
「お前がそう思ってくれているのなら」
「良いんです。何と言うか“あなたのもの”でいる印みたいなものですから」
「まるで俺が独占欲剥き出しのしょうもない雄に……まあ、違い無いか」
それにしても、美しい。
瞳を細めて褒めてくれる人になんて返事をしたら良いのやら、初めての事には流石に戸惑ってしまう。
その時だった。
ふいに感じた小さな気配に私が天井あたりに視線を向けたのと同時に国芳さんも同じ方を見て、それから私を見て「お前、神の小さな気配が分かるようになったのか」と言われてしまった。
天井にある梁から栗色の野ねずみのお姿の神様が飛び下りてくるので咄嗟に両手を器のようにして迎えれば見事に着地をされる。
小さなお体を模していて殆ど重さなんてない筈なのに手のひらは途端にやさしい温もりを感じてしまう。
「くによしにはもったいないくらいにうつくしいな」
「神、あなた様の神域で本日を迎えられる事を有難く」
「のうがきはいらぬといつもいっておろう」
「……神様、あの」
どうお話をしたらいいのか分からなくて、心の内をどうか読んで頂けたらいいな、と思っていれば国芳さんに向いていた体がこちらに向けられる。その手には小さな、きらきらと光りの粒を纏った小さな白い花が握られていた。野ねずみのお姿をしている神様の手に丁度いいくらいの本当に小さな花は以前、私の髪を長くされた時に賜った物と同じ花だった。
「うむ、わかっておるぞ。くによしのつがいとなればすずこもわがこどうぜん……さあ、はなよめにしゅくふくのしあげをしようぞ。わたしをのせたてをかかげてみよ」
こうですか、と目線よりも少し高い位置まで神様のお体を掲げると光の粒を纏う白い花が小さな手から放たれた。それは宙を舞って弾けて、ほんのりと甘い匂いときらきらとした光の粒が私と国芳さんに降り注ぐ。
きれい、と思っていると神様はぴょん、と国芳さんの肩に飛び乗って「すずこ、くによしをたのむぞ」と一言だけ仰ってどこぞへとまた駆け出して行ってしまう。物好きで、奔放な神様だと国芳さんも言っていたけれど、きっと今日もこの寝殿のどこかでお披露目を見ていてくださるのだろうな、と思った。
「国芳様、すず子様、そろそろ宜しいでしょうか」
部屋の向こうから黒光さんの声がする。
そうすればいよいよ私の、国芳さんの番としてのお披露目が行われる。
既に寝殿のいたる所で人の姿をした猫さんたちが準備をしてくださっている。
そして、黒光さんの目配せで東の支度部屋と廊下を仕切る御簾が捲り上げられた。