『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 さり、さり、と長い袴と小袿を引く私の後ろについていてくれるたまちゃん。私たちの先をゆくのは勿論、国芳さんと黒光さんだった。

 普段は静かなお庭も今日ばかりは色々な気配を感じる。
 耳を澄ませるように意識を集中させるとその中に私も知っている、私を黒い影から助けてくださった白蛇の神使のご夫妻の気配があった。不思議と、一度お会いした方や猫さんの気配を私は覚えていた。

 支度部屋は東の間、猫寝殿全体の外周を巡らす板張りの廊下をお披露目の舞台が組まれている西側の、私の部屋の方へとゆっくりと歩いて向かう。
 途中、私が国芳さんに攫われて寝かされていた板の間の広間の前を通ればどうやら今回のお披露目の舞台を組み立てたり色々な準備をした猫さんたちを労う為の席も設けられていて、並んでいるお膳に沿って人の姿の猫さんのみならず猫の姿のままの方たちが大勢、座っていた。

 人の姿をして正座をして静かに頭を下げている猫さんたちの中にふと、知った気配。

 茶白さんとキジトラさんが猫の姿で綺麗にしっぽを前の手まで巻いて座っていたけれど……ちら、と私と目が合う。ふふ、と笑いかければ耳を横にしてそれぞれにゆっくりと瞬きをしてくれる。
 それは猫さんの習性、私に対する親愛の行動。
 私の支度を手伝ってくれた女の子たち曰く“おじさん”な二匹の行動に気が付いた前の二人も声をどうにか抑えるように笑っているし、後ろのたまちゃんも同じだった。

 いよいよ、視界が開けて来てお披露目の舞台が見える。
 普段は見る事の出来ない人、と言うか神使様の数々。
 人の姿をしているけれど元は白蛇だったり、犬、鳥、狐など……様々な神様の御使いをされている方々が人の身である私を迎え入れてくれる。

 この時やっと、抱いていた筈の不安の存在が消えていた事に気がついた。
 多分、神様があの光の粒を降らせてくれた時から私は温かい安心感の方が勝っていて、すっかり不安を忘れていた。

 私たちの席まで辿り着いて、お庭を一望できる場所に国芳さんと並んで立つ。

 組み上げられた各神使様たちの席に向かって黒光さんが滔々と口上を述べ始めた。
 私は「すず子様は微笑んでいて下さい」とだけ言われていたのでそうさせて貰う。口上の後で個別にご挨拶をしに来てくれるそうなのでその時も頷くなりなんなりで構わないと教えてもらっていた。多分、皆さんは神使様だから読もうと思えば人の私の心を読めてしまう。だから下手に何か言わなくても伝わってしまう。

 私の目に映るのは人の世では到底見る事が出来ない、とても幻想的で華やかな景色だった。
 秋の庭の植栽を避けてまるで水面に浮かぶ小舟が集まったかのような木組みの舞台。升席のように四人程が座れる舞台がいくつも組まれていてそこには煌びやかな着物を纏った神使様や従者の方々がお座りになっていた。

 たまちゃんと練習した通りにいつもより重量のある髪と着物に引っ張られないように姿勢を正し、手には畳んである美しい扇を持って国芳さんの隣に佇む。
 黒光さんの口上が終わると同時に隣の国芳さんが深く息を吸う。

 その発せられた声は私に軽口を言ったりうっとりとしてしまうような事を囁いたりする時とはまるで違っていた。
 過去に一度だけ、神社でお願い事の御焚き上げをした時に神様に捧げていた祈りの言葉を紡いでいる時と同じ張りのある凛とした声がどこまでも響き渡る。

「我が妻は人の子でありながらも猫の一族が定める番の条件を満たしている。そして猫王の妻となる才覚は我らの神もお認めになった。どうか、私の妻をこの神域の座に迎え入れてやってほしい」

 国芳さんの口上を聞きながら私は真っ直ぐに前を見つめていた。
 いつも身近すぎて忘れていたけれど国芳さんは猫の神使、神様の御使いを纏める一番偉い人。

 そしてついにその人は私の存在を大勢の方の目の前で妻なのだとしっかりと言い切ってしまった。

 歓声の代わりに拍手が起こる。
 するとお庭に少し風が吹いて……目を細めてしまえばふさふさとしたススキの穂の更にひとつひとつの小さな綿毛が光りの粒になって放たれ、お庭全体をきらきらとした光で包み込む。

 私たちの背後、普段は私が使っている部屋の下げられている御簾の向こうで……人の姿となられている神様の気配を感じ取る。
 ふふ、とゆったり微笑んでいらっしゃるのも私には分かった。

「国芳さん、これは」

 小さく話しかければ「全く、物好きな神だな」と口元を緩ませて少しだけ後ろを気にしたけれどすぐに神様の気配は小さくなって、どこかに駆け出して行った。

「さあ、今日は遠慮せずに楽しんで行ってくれ」

 国芳さんが声を掛けると途端に騒がしくなる。
 その気配に圧倒されて私が少し身じろぎをしてしまい傍に控えてくれていたたまちゃんに助けを求めようとしたら私と同じで金茶の目を見開いて黒光さんに助けを求めている。

「ああ……すず子様も玉乃井もこういった大規模な酒宴は初めてでしたね」

 黒光さんが驚いた表情のまま固まってしまっているたまちゃんにふ、と優しく笑みをこぼすと次はその黒光さんの珍しい表情を見た国芳さんが驚いた表情になる。

「ふふっ」

 ついには四人で笑ってしまった。
 目を丸くさせているたまちゃんを見ておかしそうに笑う黒光さんの瞳が金色に輝くのを私は見てしまった。綺麗な、たまちゃんと同じ瞳の色が秋の日差しに輝いている。

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