『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』


 私の部屋の周囲は明日の朝早くから片付けが入るのと、その……一応、と言う事で寝所に敷かれた対の布団。

 お風呂を終えてうとうとしていた私は国芳さんの羽織りものを肩に掛けて脇息に寄りかかって、待っていた。

「起きていたのか」

 疲れているだろう、とまた奔放な癖っ毛の髪に戻った国芳さんが私の隣に座って布団の中に入る事を勧めてくれる。
 本当に、しなくても良いのだろうかと言う不安ではないけれどしきたりとかそう言うことに則らなくても大丈夫なのかと思ってしまう。

「俺たちは披露目の前から番だ。妻の体を労われぬ夫がどこにいると言う?」

 心を読んだのか、それとも自然と感じ取ってくれたのか。
 優しい国芳さんの声に掛布団を捲った私は「国芳さんも」と一緒に横になって欲しいのだと伝える。

「ああ、もう寝よう」

 若い恋人同士のようにくっついて、私は旦那さんである人の胸元にぴったりと寄り添う。
 今夜の国芳さんはいつもの華やかな匂いに、心が温かくなるような、眠くなってしまうような穏やかな気配が混じって……私の瞼がすぐに閉じてしまいそうになる。

 私の愛情がどうか伝わりますように、と言う祈りのような思い。

 軽く抱き寄せてくれている人がこっそり私の匂いを吸っているけれど、本当に今日はくたびれてしまっていた私は優しさに甘えて瞼を閉じさせてもらう。また明日、国芳さんも三日ほどは丸々ゆっくりできるそうなので……夫婦の時間を取らせて貰おうかな、と思いながら私はぐっすりと寝入ってしまった。


 次の日の朝もいつもと変わりない。
 けれどたまちゃんが日課の朝の挨拶に来なかった。疲れているのかな、と布団の中で考えていれば目が覚めた国芳さんが私の腰をぎゅ、と引き寄せようとする。朝から何をしてるんですか、とも言えずに「たまちゃん遅いですね」と心配の言葉を呟けば「今日は昼からで良いと二人には伝えてある」とまだ眠そうに答えてくれた。
 確かに、昨日の今日ではたまちゃんも黒光さんも私なんかよりずっと疲れている。いくらこの神域でも疲労は疲労だ。

「玉も、黒と寝ているんじゃないか」
「な、」
「添い寝だよ、添い寝」

 びっくりした……いきなり何を言い出すのかと思いきや。
 昨夜の時点で、私を国芳さんの部屋に置いて行ってくれたたまちゃんはすぐに白猫の姿になってしまっていたそうで……それを黒光さんが抱えて東の離れに連れて行ってしまった、と聞いてしまう。

「なんて大胆な」
「あいつ、昔からそう言う事への情熱の掛け方が極端でな。時にとんでもない真似をするが……まあ、それも玉に向けてだけだが」
「たまちゃんはみなさんから大切にされているんですね」
「何だろうな。あいつの持つ気が周りに、俺にすらそうさせているのかもしれんな。人懐っこい、可愛らしい猫だ」

 国芳さんのお話に頷いて「それにしても、寒くなってきましたね」と言葉にすれば「火鉢に火を灯すか」と聞かれてもう一度頷く。
 不思議に思っていたけれどこの寝殿の明りは多分、国芳さんの判断で自在に着いたりしていたらしい。

 温まるまで横になっていよう、と耳元で言われて二人でごろごろと布団の中で戯れる。

「なあすず子」
「なんですか?」
「俺は昨晩も真剣に考えていたのだが、猫たちの通用門を作るにあたって俺たちのこの同衾が妨げられるのは明白……昼間はともかく我が妻の布団を我が物顔で占拠し、勝ち誇った顔で俺を見ている茶白とキジトラの顔がまざまざと思い浮かぶんだ」

 国芳さんの声のトーンが本当に真剣そのもので笑ってしまいそうになるけれど猫さんたちと夜まで一緒となると、確かに。

「お布団、好きそうですもんね」
「だろ?絶対にあの二匹は一日中俺の寝殿に居座るに違いない。そんな事、俺が耐えられない」

 ぎゅう、と私の体を引き寄せて丸め込んでしまう人は「妻を抱けぬなど」と正直に自らの欲を教えてくれる。

「そうですね……私も猫さんは大好きですけど国芳さんの事は、愛していますから」

 私の言葉に国芳さんは黙ってしまった。
 そして黙ったままぐりぐりと私の頭に顔を埋めてしまう。

「夜まで待てそうにない」

 ぐ、とまた一段と抱き締める力が強くなるけれどひとしきり私の匂いを吸ってから腕が緩められる。

「だが、これは修行だ」
「もう……どうしてあなたは欲望を素直に言ってしまうんですか」
「妻を愛しているからだ」
「分かりました。分かりましたから……旦那様もお仕事やお披露目の準備で忙しかったんですから」

 夜までは、大人しくしていてください。
 そう伝えた私に「どうだろうな、俺は我が儘な雄猫だからな」と半分笑って、半分冗談では無さそうな雰囲気で言うものだから私もちょっとその気になってしまいそうだった。

 お昼ごろ、二人でのんびりと火鉢を挟んでお茶をしていると珍しく黒光さんの方が先に「少々宜しいでしょうか」と国芳さんのお部屋に訪れる。いつも私がその、色々と寝乱れていないか気を使ってくれて先にたまちゃんが訪れるようにしてくださっていたから本当に珍しい事だった。

「玉はどうした」
「……申し訳ございません」

 察してしまう。
 そして国芳さんと顔を見合わせてしまう。

「多分、お二人の想像している事と現実に大きな相違が」
「だったら部屋に連れ込んで何をしでかしたんだ」
「しでかし……振る舞いで出ていた祝い酒が私の部屋の前に置かれていたので晩酌にと少し舐めていたら起きた玉乃井の興味を引いてしまったようで」
「飲んじゃったんですか」
「ええ、そうしたら……あの子は」

 そう言えば黒光さんからもお酒の残り香がする。
 次に出て来る言葉を何となく予想していた私と国芳さんだったけれど黒光さんの口から、とんでもない事が暴露された。

「玉乃井は“ウワバミ”です」
「それって、つまりたまちゃんは」
「酒豪だったか」

 心底つらそうに顔を顰め、耳もへたらせて項垂れる黒光さん。

「想像以上でした。酔いもせず、美味しいと言ってまるで水でも飲んでいるかのように……そうしたらばたん、と倒れるようにまた眠ってしまってから未だ起きる気配も無く。いくら清浄なる神域とは言え私もまだ酔いが残って」
「もう良い、今日は二人とも休め。俺たちの事は気にするなと玉にも伝えてやってくれ」
「申し訳ございません……私としたことが……祝いの日の翌日だと言うのにこの醜態……」

 艶のある黒い耳をしょげさせ、すごすごと退散していく見たことの無い萎れた黒光さんの後ろ姿に申し訳ないけれど私たちは笑いを堪え切れずに小さく吹き出してしまった。
 あんな黒光さんの姿、初めて見た。
 やっぱりたまちゃんの事となると表情豊かで、職権乱用をしていたと言う事が裏付けられてしまう。

「……と言う事は、だ」
「本当に二人きりになってしまった訳ではないですよ。お片付けに来てくださっている猫さんたちがいるんですから、絶対に明るい内は駄目ですからね」

 念を押す私に「分かった」とちょっと不服そうな声。
 こうでも言わなきゃ本当に私たちはまだ日が高くある内から……国芳さんのせいで私まで昼間だと言うのに不埒な想像をしてしまう。




・・・あとがき・・・

平安時代の様式が混ざっている、と言うぼんやり設定(寝殿風の造りなのに江戸時代のような、ともすず子に思わせていた)なので装束に関しても特にたまちゃんには近代の薄い羽織りもの『千早/ちはや』を着せてみました。祭事などで巫女装束の上から羽織られている柄のついたやつです。袍/ほうや袴についての描写は難しいですね。

もうひとつ。平安時代の貴族の婚儀もあくまで私的なものだったそうで、今回も国芳が(最良の妻となったすず子を自慢する為に)私的に行う“お披露目”でしたので彼女の衣裳も十二単ではなく豪華な感じの小袿にさせました。

さて、次回の第十五話が本編最終話となります。
通常の五ページ編成ではなくボリュームを七ページに増量したものとなります。

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