『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
最終話 重なる匂いに酔わされて
しおしおとしていた黒光さんを国芳さんの部屋から見送った私も自分の部屋に着替えをしに行けば下げられたままの御簾の向こうでは木組みの舞台の解体作業が進められていた。
几帳の奥で手早く着替えを済ませて私に何か出来る事は、と言ってもまだまだ勝手の分らない部分もある。それでも、と思い切って御簾を捲りあげた。
「奥方さまだ」
人の姿になっている猫さんたちに「最後までありがとうございます」と声をかけてから……私は外廊下と自分の部屋に猫の刺繍の入った座布団を並べる。
「休憩やお昼寝をするようでしたらどうぞ、上がって座布団を」
お披露目を終えた今なら少し自由にさせて貰っても良いかな、と庭に面している私の部屋の前を解放すると「寝殿に上がる時は足ふきをしてからだぞ」と人の姿をしている猫さんが他の猫さんたちに言う。
そう言えば茶白さんとキジトラさんは来る時は廊下から来ていたので気が付かなかったけれど裸足、と言えば裸足だ。
「すず子?」
帰りの遅い私が気になったのか国芳さんが現れると気配を察したのか一斉に頭を下げる猫さんたち。進められている作業の様子に「有難うな」と国芳さんが声を掛けると嬉しそうに耳を横にして「昨日の奥方さまも美しかったですが普段のお姿も十分にかがやいて」と言葉にしてくれる。
お世辞を言ってくれても私は撫でる事くらいしか出来ないんだけどな、と思っていればどうやら心の中を読んだのかどうか、国芳さんが私の背をぽんぽん、と擦ってくれてそのまま「お前たちも少し休め」と声を掛ける。
すると男性の人の姿で作業をしていた赤茶色の耳を持った猫さんと濃い灰色の耳を持った猫さんが「猫王さま、本日は玉乃井さまはいらっしゃらないのですか?」と聞く。
「玉?ああ、流石に今日はゆっくりさせているが」
「それは残念だ……いやしかし玉乃井さまもお疲れでしょう」
「なんだ、玉に何か用でもあったか」
私に座布団に座るように言って国芳さんは廊下の、しかも庭に降りる為の三段の階段の手前に腰を下ろして胡坐になってしまうので私もそばまで行って隣に座る。
「久方ぶりに玉乃井さまを拝見して……雄猫たちにとって玉乃井さまは憧れの白猫ですから」
「憧れ?玉が、か」
「そう言えばたまちゃんは私についてくれているからあまり他の所には行って無いみたいですけど」
「いや、それよりも前からだ……最後に玉を神の神殿に使いに出したのはいつだったか」
口もとに手を当てて思い出そうとしているけれど「大体、黒が何かにつけて代わりに行ってしまうからな」と口にした国芳さんは自らの言葉に、そして私もその意味を察してしまうけれど集まって来た猫さんたちは「玉乃井さまいないんですか?」と口々ににゃーにゃーと喋りだしてまるで猫集会のような場所になってしまった。
「あの美しい白さ、なかなかいませんよ」
「可憐で、猫のお姿の時はまるで綿毛。そしてきらきらと光るあのこがね色の瞳……」
「神使と言う格のある猫だと言うのに俺たちにも気さくに話しかけてくださるし」
私と国芳さんは黙るしかなかった。
昨晩からたまちゃんは黒光さんのお部屋で過ごして、今もきっと黒光さんのお部屋で眠っている。黒光さんの事だから片時も傍から離れていないと思うし……なんなら添い寝をしてしまうくらいの大胆さも持ち合わせている。
そのお話はとりあえず深くしないでおいてあげて暫く、色々な猫さんたちに囲まれてお話をする。そして隣の国芳さんの記憶力と言うか――お一人、一匹ずつの名前や特徴を全て覚えている話の仕方をずっとしていて内心、驚いてしまう。でもこの神域と現世を行き来できたりするのだからそれは彼にとっては些細な事なのかもしれない。
国芳さんは「通用門を設けようかと思っている」と言葉にして、きっとその門を造るのも今こちらに来ている猫さんたちらしく話を始める。
お話を聞く猫さん達の真剣な表情。
猫の姿の方も座って、しっぽの長い猫さんは揃えた手の上に巻いて国芳さんを真っ直ぐに見上げている。
「今は披露目の為に俺の意思で東の門を開放しているが東はこれからの繁忙期や元は他の種族の神使たちが使う門……西はすず子が現世との行き来のみならず本社との通用口として使っているからな」
「では北か南の」
「ああ、俺もそう考えていたんだがいっそのこと他の社と繋いでいる“蒐集の間”のようにそのまま繋げても良いのかもしれん」
ただ、と国芳さんの「こちらでは猫の姿でだけだぞ」と念を押す言葉に少し笑ってしまう。キジトラさんの口もとへの熱烈なすりすりも確かに今や国芳さんの奥さんとなった私。猫さんとしての人へのナチュラルな“好き”の気持ちしか彼らになくても流石に人の姿ですりすりされてしまうと私も困ってしまう。
濃い灰色の耳をした人の姿の猫さんが「お部屋か廊下に設けるのでしたら襖なり観音開きの戸になりますね」と増設についてのお話が進んでいく。それを国芳さんの隣で聞いていると座り直した国芳さんの肩がこつん、と当たる。
少し気にしたようだけれど肩は離れることなくくっついたまま……私もその肩に少しだけ身を委ねてお話を聞く。