『逆、猫吸い譚 ~雄の三毛猫、三条国芳は今日もすず子の匂いを吸う~ 』
机の上に積み重なる大量の書状。
私も大晦日前から元旦、そして三が日の一週間はずっと神社に朝から晩までいたのでそこだけでも普段の十倍以上、宮司さんも去年よりも多いかもしれないと仰っていた参拝客に――参道を埋め尽くす人の数に驚いてしまった。これが、ここを本社とする分社の神社でも同じような事が起きていると聞かされてさらに驚いた。
本社だからと言う理由で五兄弟の猫さん全員が神使としての修業をされているのは宮司さんも高齢になってきていること以外にも、こうして参拝客が急増する時期などに対応できるようにとの国芳さんの配慮らしい。
人の願い事を聞き、記す者が多いに越したことは無い、とのこと。
「黒、今日はもう上がろう」
「承知致しました」
一日中、神使としての能力を使い続けていた二人。黒光さんの使っている文机も書状に埋まっているしその隣に並んで置いてある文机……ふかふかの猫の紋用の刺繍が入った座布団が置かれている所にも紙の束が積んであった。
そこはたまちゃんの席。忙しい時期はたまちゃんも黒光さんと一緒に筆を執るけれど国芳さんは「あの並びは今年からだ」と言う。以前は机をぴったり並べる事は一応、無かったそう。
「黒光さまもお茶をされますか」
「ああ、頼む」
嬉しそうにぴんと立つたまちゃんの白い三角の耳に反して黒光さんの黒い耳が緩く横にへたっている。それは嬉しいと言うか、惚気ている時の耳の感じなのだと私は国芳さんの耳の様子から学んで知っていた。
「国芳さんもお部屋に戻りましょう」
それぞれにまた明日、と執務室を境にこれからは夫婦と……想い人同士の夜の時間が始まる。明日の私は神社に向かわない日なので寝殿の中の事をする日でもあり、猫さんたちが自由にこちらに来れる日でもあった。
そんな前の日の国芳さんは……まだお風呂に入っていないのにたまちゃんと黒光さんがいないからと私を抱き締めてしまう。
「ちょっと、駄目です……どうしてあなたはいつも我慢ができないんですか」
背後から逃げられないようにしっかり私を抱き締めて首筋の匂いを吸っている国芳さんに抵抗をしなくなって久しい。
現世で働いて来た後だしお風呂前だからあまり、と身を捩っても絶対に気が済むまで離してくれないのは分かっていた。
ひとしきり匂いを吸われてしまえば私には国芳さんの華やかな匂いが染みる。
「外の匂いがするとつい」
猫の習性だからな、と言うけれど最近の国芳さんの私への振る舞いからしてなんだか都合の良い免罪符にその言葉を使っているようにしか感じられない。
国芳さんが私の首筋に掛かっている首飾りの鈴に触れるとちりん、と小さく音が鳴る。強い感情の揺れは起きていない為に滅多なことが起きない限り鳴る事のない鈴だけど……素直な愛情と言う欲で独り占めしようとしている夫の為に私はあなたのものですよ、の印として私はこの首飾りを大切に身に着けていた。
これから長い時間を国芳さんと過ごす私。
でもその前に今夜はすり、すり、と猫のように頬を寄せて番である国芳さんからもたらされる愛情に私も猫の仕草で喉元を差し出すように応える。
「そんな蕩けた顔をされたら……この場で喰らってしまうぞ」
口ではそう言いながらも少し笑っている国芳さんの声。
似たような言葉をいつか聞いたな、と思いながら「この続きはお風呂に入ってからですよ」と夫婦、番の夜の寄り添いを約束をする私に彼の深緑の瞳の瞳孔が開いて「そうだな、ゆっくり温まってくると良い」と真摯的な建て前の言葉を並べる。
それがおかしくて、愛しくて。
思わずちょっとだけ笑ってしまえば途端に不服そうに三角の耳を少し左右にへたらせる。
「なるべく早く上がってきますね」
「あ、ああ……いや、疲れただろうから本当にゆっくり浸かってきてくれ。俺は別に」
私の視線から目を逸らす人。
「猫を見つめるな」
「本当は大丈夫な癖に」
図星を突かれてぴく、と震えた耳の先。
それでも、私からも親愛を伝える為に目を細めてゆっくりと瞬きをすれば国芳さんはまた私を抱き締めてしまう。
「すず子……」
「あ、本当にそれ以上は駄目です。お風呂から上がって来るまでお預け、ですからね」
ふふふ、と腕の中で笑えば「俺は本当にお前の事となるとどうしようもない雄だ」と人とは違う、神様にお仕えする猫の神使の一番上に立つ――本当は偉い立場の国芳さんはそうぼやいているけれど、私はそんな正直な旦那様の全てを愛していた。
抱き締められたまま胸元の匂いを吸い込めば私の胸は国芳さんの華やかな香りでいっぱいに満たされる。
そしてきっと今夜は私たちの匂いがしっとりと重なる。
それは静かに、緩やかに。
おしまい。
・・・あとがき・・・
なるべく優しい話を、と言う心がけで執筆をしてきました作品です。しっとりとした後味になれたかな、と……ひどく重い感情はあえて描かず、すず子も恋愛小説の中でも年齢が高めの30歳に設定し、彼女と同世代のオトナの女性にも気軽に読める艶っぽいお話に仕上げました。
約15万字、お付き合いいただきありがとうございました~!!