ぼくらは群青を探している
 もし、母がそのことを覚えているとしたら、そして小学四年生のときの面談でそのことを想起してしまったのだとしたら、きっと、今日の光景を喜ぶはずだ。あの日のように──河川敷(かせんしき)のだだっ広い遊び場で、私の両肩に手を置いて(さと)した日のように──お友達と普通に遊びなさいと説く必要はもうなくなったのだと。

 たとえ、内実としては回復の兆しさえないとしても、少なくとも外見としては普通に見えて、それ以外に私の異常さを証明するものはないのだから。




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