ぼくらは群青を探している
4.歯車

(1)二択

 父親が不倫した。

 それを知ったのは、夜中、たまたま目を覚まして、リビングに降りたときのことだった。

 父が医者。母も医者。結果、二人の帰る時間はてんでばらばらで昼夜を問わず (いや昼に帰ったことはなかったか)、夜中にリビングの明かりがついているのはよくあることだった。

 その夜も、いつもと変わらないはずだった。宿直明けのお母さんが一日ぶりに帰ってきた。もう寝てしまうかもしれないけれど、寝てしまう前にちょっとだけ。そう思ってリビングに近づいた。


「家は共有名義だけど、頭金はお義父(とう)さんが出してるし、代わりに現金を寄越せなんて言うつもりはない。私の名義は抜いていいから、必要な書類があったら連絡して。残してある私のものは処分していい。残ってる生活費は半額抜いたから、それ以外に分けるものはない。あとは不貞(ふてい)慰謝料三百万、弁護士費用、それ以外の実費。吹っ掛けるつもりなんてないから、これを()んでくれたら、判をつく」


 当時、何の話なのか分からなかった。

 ただ、ここ数年の両親は喧嘩が絶えなかった。だから、なんとなく、もしかしたらもうすぐ離婚してしまうのかもしれないとは、常々、抽象的な可能性として頭にあった。

 ただ、具体的な可能性としてまでは考えていなかったから、何の話なのか分からなかった。


「……相手との関係は、どうするつもりなんだ?」

「それは別でしょ。それはそれで慰謝料を請求するから。明日にでも通知がいくと思うから、そうね、ごねるなら裁判でまた顔を合わせるんじゃないの」

「そんな八つ当たりみたいなことをしなくたって」

「八つ当たりも何もないでしょ。加害者にしかるべき措置(そち)をとって何が悪いの?」


 後になって知ったことだが、父は二年ほど前から看護師と不倫をしていたらしい。

 医者として働く父母の生活は完全にすれ違っていたから──父の不倫の動機がそれにあるのかは別として──母は父の不倫に気付くことはなかった。なかったはずだった。

 それが露呈(ろてい)してしまった原因は、相手の看護師だった。父母の結婚記念日、二人が食事に出かけた夜、彼女は、父の携帯電話に酔っぱらって電話をかけてきた。父は、よくある不倫対策のように、その相手の連絡先を病院名で登録していた。その対策が、真面目な母の前では(あだ)となった。

 父が席を立ったときに父の携帯電話が鳴り、不倫対策の思惑通りにそれが病院からの連絡だと勘違いした母は、なんの疑いもなく、それどころか仕事の連絡を適切に受け、引き継ぐために父の代わりに電話を取った。しかし、電話の向こうにいたのは酔っぱらった看護師で、よりによって「なんで奥さんと別れてくんないの?」と発言した。次の日、母は探偵を雇った。三ヶ月かけて、母は不倫の確たる証拠というやつを手に入れた。思えば、両親の仲が悪くなったのは、父が不倫を始めた頃からだった。

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