ぼくらは群青を探している
 小学四年生くらいになってやっと分かったんだけど、要は飲酒運転してたおじさんは人を殺したのがバレるのは怖くて逃げた、よくある()き逃げだった。ただ、そこはよくあることなのかは知らないけれど、逃げた癖に、裁判では「気付かなかった」「人を()いたなんて思いもしなかった」「降りたのは猫に当たったと思ったからで」と言い訳を繰り返した。笑えるほど姑息(こそく)で、呆れるほど幼稚で、死ぬほどクソ野郎。ふざけんな。死ぬほどクソ野郎なんだから死ねばいいのに。

 お母さんが死んで、父さんは三回泣いた。一回目はお母さんの遺体を見たとき。二回目は葬式のとき。三回目は裁判のために弁護士と話をしてるとき。


「妻を失った悲しみは、そうやって金で評価できるものではありません」


 父さんは暫く仕事を休んでいた。いわゆる(ふさ)ぎ込んでる状態だったんだと思う。父さんの友達が何度か(はげ)ましに来ていた。

 それでも、父さんはまた仕事に出て行った。会社の配慮か何か知らなかったけれど、父さんはまた近くの会社に戻ってきていた。でも家に帰ってくるのはいつも遅かった。今になって思えば、きっと父さんなりに仕事に打ち込むことでお母さんが死んだ悲しさを誤魔化したかったんだと思う。


「昴夜もまだ小さいし、再婚を考えてもいいんじゃないか。儂がおる間はええが、お前、また本社に戻るんじゃろう」


 正月、じいちゃんがそんな話をしていた。お母さんが死んで四年。ふたつの裁判が終わって、一年半が経っていた。


「せんでええ」

「でも昴夜がひとりぼっちじゃあ」

「そんでも、昴夜も中学生じゃ。一人でもなんとかなる」

「そりゃ、儂がおる間はええが」

「再婚はせん。この話はもうせんでくれ」


 じいちゃんと話すときにだけ出る方言混じりに、父さんは再婚話を突っぱねた。


「こうや、ごめんな」


 その日の夜、お母さんの晩酌(ばんしゃく)にさえ付き合えないほど酒に弱い父さんが、じいちゃんが風呂に入っている間に、酔っ払って呂律(ろれつ)の回っていない舌で言った。


「お前が、新しいお母さんはいらないとか、そういうことじゃなくて、父さんが再婚したくないんだ。ごめんな。父さんはお母さんしか好きになれないから、父さんが再婚なんて考えられないんだ。じいちゃんと二人で、寂しいよな。ごめんな」


 父さんとお母さんの関係がいわゆるラブラブだと、ずっと知っていた。お母さんは恥ずかしがることもなく「コーイチ愛してるよ」「コーヤ愛してるよ」をおはようと同じような頻度で口にしていた。父さんも「ヘレン愛してるよ」とおやすみと同じような頻度で口にしていた。イギリスの文化もへったくれもない、というのは父さんは俺には (恥ずかしがってかなんだか知らないけど)「愛してる」なんて口にしなかったことから分かることだ。ただ父さんとお母さんの関係がいわゆるラブラブだっただけだ。

 そのお母さんが死んでしまった。父さんはちょっと無口になった。だいぶ()けた。かなり元気をなくした。

 小学生の俺は、そんな父さんをずっと見ていた。愛してる人を亡くした父さんを、ずっと。だから父さんを通じて、愛してる人を亡くすことの意味を見ていた。

『いつかコーヤも愛する人ができたら分かるよ』

 だったら俺は、分からないままでいい。

 だって父さんは悲しんでるじゃないか。ずっと泣いてるじゃないか。愛するお母さんが死んで、ずっと、アルバムを抱えて泣いてるじゃないか。

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