ぼくらは群青を探している
「……でもだから、雲雀くんの、その、告白っていうのがあった以上は、夏休み前に決まってたとしても、雲雀くんより先に桜井くんを……」

「『桜井くん』じゃないもん」

「桜井くんは桜井くんでしょ……」


 もっちもっちと桜井くんはパンの続きを(かじ)るだけで、私のほうを向きもしない。本気で無視する心づもりらしかった。

 陽光によるものとは別に、じんわりと、背中が熱くなる。口を開いても、喉に詰め物でもされたように声が出なかった。唾の呑み込み方を忘れて、意識して呑み込んだ。喉が鳴った音に気付かれていなければいいと思った。口を開けば、喉に空気が通るのは感じたけれど、やっぱり声を出す勇気がなくて、閉じるしかなかった。

 会話がなくなって十数秒、ツクツクホーシ、ミーンミンミン、ツクツクホーシ、ジィー、と複数種類のセミの声が意識の中に入ってきた。ガサリガサリと、手の中のビニール袋の音も聞こえる。

 つい、立ち止まった。なにか理由があったわけではないのだけれど、声を出そうとしたら歩くことができなくなってしまった。


「……昴夜、って?」


 ツクツクホーシ、という声が二倍速、三倍速となり、ゲシュタルト崩壊して、ビィー……という声に変わり、静かになる。桜井くんはチョコクロワッサンを(くわ)えたまま器用に目だけで笑い、チョコクロワッサンを食いちぎって、ちょっとだけチョコレートのついた口角を吊り上げる。


「な、問題ないだろ」


 ……問題があるのかないのかは分からなかったけれど、少なくとも、私にとって、桜井くんの名前を呼ぶのは、簡単なことではなかったよ。

 でもきっと、雲雀くんの名前を呼ぶのも、簡単じゃないんだろうな。その意味では、別に桜井くんも雲雀くんも変わらないんだろうな。


「てか英凜、帰りながら食わないの? 腐んない?」

「……お行儀悪いし、そんな二、三分で腐るはずがないし……」

「あと飲み物ぬるくなりそう」

「……それはそうかも」


 飲み物くらいならお行儀が悪いなんて言われないだろう。そこだけ同意することにして、ビニール袋の中からコーヒー牛乳を取り出し、歩き出しながら、ゆっくりと会話を反芻(はんすう)する。

『こうやって昼飯買いに行くときに俺と二人きりはやめろとかいい始めるんだったら困るよ、いや困ったって仕方ないんだけど』

 ……つまり、論理的には、これから先、私と桜井くんがこうして歩くことはないという可能性だって、あるのだ。

 そして桜井くんは、それに困ったって、仕方がないで済ませなければいけなくて、なおかつ済ませることができるのだ。


「てか侑生のことフることにしたら早めに教えてね。慰めないといけないから」

「……桜井くんに慰められても慰められなさそう」

「また桜井くんになった」

「……昴夜」

「せいかい」


 ……でも「桜井くん」ほど「昴夜」を呼ぶことはないだろう。

 桜井くんが、それに気付いていないのであればいい。そんなことを考えながら、プツリとストロー口に穴を開けた。

**

 体育祭当日は、まさしく灼熱(しゃくねつ)の太陽がグラウンドを照りつけると表現しても過言ではないくらい、うんざりするような晴天だった。


「お、雲雀じゃん」


 そしてその当日は、雲雀くんの復帰初日でもあった。陽菜のその声で雲雀くんが教室に入ってきたことを知り、反射的に顔を上げてしまって、雲雀くんと目が合ってしまって、素早くそして不自然に目を逸らす羽目になった。


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