ぼくらは群青を探している
 年が変わる度に手帳を新調するけれど、その度に、この記事を古い手帳から新しい手帳へと入れ替える。そろそろ保存に良い、プラスチックのケースか何かに挟んだほうがいいんじゃないかと毎年思っているのに……なかなか、そんなことをする気が起きない。

 本当は、年が変わるたびに捨てようと思っているから。

 その記事を開くと、週刊誌の記事らしい、二ページに渡ったタイトルと写真とが目につく。『不良同士の抗争に犠牲者』という煽りの横には、死亡した新庄篤史の写真がある。ぬっ、という擬態語が似合いそうな顔立ちで、薄ら笑いを浮かべている顔写真だ。

 更にその隣には、一色市にある青海(おうみ)神社が映っている。記事中には「群青がいわば根城にしていた神社(写真左)」と書かれていた。

『「群青」のメンバーはK.Sくんが起こした事件について「普通、殺しまではしない」と口を揃えた。』

 この部分を読むたびに、このマスゴミめ、とよく聞く揶揄(やゆ)で内心悪態を吐いたものだった。「群青」のメンバーはそんなことを言ったのではない。「群青」のメンバーは――雲雀(ひばり)侑生(ゆうき)は「いくら不良同士の抗争つったって、普通、殺しまではしない。アイツが殺したっていうなら、それは事故か、そうじゃなくても何か別の理由があるに決まってる」と話したのに。今でもはっきりと、表情まで思い出せるほど、侑生はそう伝えたのに。この週刊誌の記者は、読者が求めない声は聞こえなかったかのように、こうまとめた。

 そんなことを思い出してしまったこともあり、まるでタイムトラベルでもするかのように、自分の思考が記憶の中へ吸い込まれ始めるのを感じた。

 もう、十年以上前だ。この事件が起こったのは二〇〇九年、そして――私が群青(ブルー・フロック)に出会ったのは、それよりももっと前。

 この事件の犯人とされている、桜井(さくらい)昴夜(こうや)に出会ったのは、それよりももう少し、前の話だ。
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