ぼくらは群青を探している
「私は、その……恋愛経験とか、全然ないし、だからきっと、私の頭がまだ追い付かないだけで……もしかしたら、もう、雲雀くんのことが……、好き、なのかもしれないし……」


 今までの自分の感覚から導き出した仮定なんだと言いたかったのだけれど、こんな右顧(うこ)左眄(さべん)したような言い方でその論理関係が雲雀くんに伝わったとは思えなかった。


「もし、もしね、仮にね、仮に、そうじゃなくても、きっと……、きっと、私は、雲雀くんのことを好きになると思う……」


 本当は目を見て言いたかったのに、だめだった。目を見ることができないどころか、顔を上げることすらできなかった。汗が滲んでしまいそうなほどに体が熱いのを感じながら、胸が苦しいのを感じながら、やっとのことで結論の一歩手前を口にする。


「……だから、それでいいなら……、その、お願いします……」


 ドクン、と心臓の鼓動が聞こえた。

 本当は「雲雀くんならきっと付き合ってるうちに好きになるから、それでもいいなら付き合ってください」くらいをすんなりと口に出すつもりだった。

 でも結局、私にはそんな度胸はなかった。ただの返事なのに、想像の数十倍、いや数百倍難しかった。そんな言い方をすると陳腐(ちんぷ)だけれど、それでもそのたった一文を口にするためのハードルを越えるために(つまず)き続け、結局足を引っかけながらなんとか先に進んだに過ぎず、とうとう飛び越えることができなかったのは事実だった。

 じゃあ、雲雀くんが私にそれを言ってくれたときは、どれだけ難しかったのだろう。タイミングを間違えたとか誤算だとか、雲雀くんはそんなことを言ったけれど、そんなことはどうだっていい。ただ好きだという一言を言ってくれただけでも、雲雀くんを好きになれる気がした。

 同情や共感を恋情と勘違いしているわけじゃないのは、さすがの私でも分かっている。だって私は、笹部くんに告白されたときは「有り得ない」以外の感情を持たなかった。

 その意味できっと雲雀くんは私にとって特別だし、もしかしたらその特別を〝好き〟と呼んでいいのかもしれない。


「……ほん……、」


 雲雀くんの(かす)れた声を初めて聞いた。そしてその声は明確な言葉になる前に途切れた。だからつい見上げてしまったけれど、雲雀くんはまるで言葉を(おさ)え込もうとでもするように口を覆ってそっぽを向いていた。そのまま、続きは(つむ)がれる気配がなかった。

 代わりに、私が縋りついていないほうの腕が背中に触れた。その感触に気付いた瞬間、ドクッと心臓が跳ねたけれど、自分のものでない心臓のほうがうるさく鼓動していることに気が付いた。

 密着しているわけでもないのに、雲雀くんの心臓の音が聞こえる。耳を澄ませずとも、人の心臓の音がこんなに聞こえるなんて初めて知った。


「……俺はガキだから、三国が手に入るなら、聞き返さないよ」


 触れられている背中が熱かった。それと同じくらい、うなじが熱かった。体の中で熱くないところなんて何もないくらい、どこもかしこも熱かった。


「……聞き返しても返事は変わらないよ」


 陽菜が、体育祭の後だと雰囲気がないと言った。汗と泥まみれで、雰囲気がないと。

 でも、体育祭の後でもそうでなくても、こんなに緊張して汗ばんでしまうなら同じことだった。どうせ、平然と悠然と返事をする余裕なんてなかった。

 雲雀くんからは制汗剤の匂いがした。清涼(せいりょう)な、ベルガモットの香りだった。


「……ありがとう」



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