ぼくらは群青を探している
 海で浮島にいるときに、桜井くんが胡桃の浮き輪に捕まって帰ると、ごく自然に胡桃を選んだことを、つい気にしてしまったこと。海で片付けのときに桜井くんの姿が見当たらなくて、ついその姿を探してしまったこと。桜井くんと胡桃が二人で喋っているのなんていつものことなのに、つい耳を(そばだ)ててしまうこと。

 桜井くんは赤と白が混ざるとオレンジになると考えたことがあること、クッキーが嫌いなこと、幼い頃に竹で額切ったことがあること、お母さんが飲酒運転の車との事故で亡くなったこと、お酒は絶対飲まないと決めていること、プールで溺れたことがあること、最近の部屋には楽譜が散らばっていて、キーボードで一生懸命練習してるけど下手なままだということ。これを全部、幼馴染の胡桃は知っていて、私は何も知らないこと。

 その諸々に対して覚えた感情は、〝寂しい〟と形容するほど大袈裟なものではなかった。ただ、私だって桜井くんのことを知りたい、誰もが知ってる桜井くんを知りたい、誰もが知らない桜井くんを知りたい、そう感じた程度だった。

 でも……、そっか。

 あの日──雲雀くんに告白されたって聞いたよと桜井くんに言われたあの日だって、そうだった。桜井くんの数々の言動に対して、私は「それだけ?」なんて思ってしまっていた。桜井くんにもっと別の反応を求めていた。論理的には、これから先、私と桜井くんが二人で並んで歩くことはないという可能性だってあるのに、桜井くんは、それに困ったところで、仕方がないで済ませなければいけなくて、なおかつ済ませることができる、そんな事実が私には堪らなく寂しかった。

 桜井くんにとって私は特別じゃない。

 別に私が桜井くんの感情に(にぶ)いわけじゃない。雲雀くんだって、桜井くんには私に告白した以上のことは言わなかったのだから。仮に、雲雀くんから見て桜井くんが私を好きだったとしたら、例えば──、〝俺は告白したけどお前はいいのか〟なんて、気遣いか、それこそ牽制(けんせい)かをしてもおかしくないのに、雲雀くんは何も言わなかった。つまり、親友の雲雀くんから見たって、桜井くんにとって私は特別じゃない。

 そうだ、私はそう思ったんだ。体育祭の日に胡桃が話すのを聞いていて、きっと私は、ずっと桜井くんの部屋のことなんて知らないままだと。桜井くんの隣に胡桃がいることがあっても、私がいることなんてないと。

 胡桃は、浮き輪を膨らませてほしいとかケーキを一口ほしいとか、桜井くんに抱き着いて甘えることを当たり前のようにできても、私にはそんなことはできないままだと。

 私と桜井くんはその程度の関係のまま変わらないんだと確信して、私は、私を好きになってくれた雲雀くんを選んだんだ。


「……やっぱり、桜井くんのこと好きなんだなあ」


 帰りのバスを降りた後、一人きりのバス停で、そっと呟いた。

 次の日、桜井くんは「おはよー」と言いながら教室に入ってきて、すぐに鍵を差し出してくれた。手を差し出すと、ぽとりと手のひらに冷たい鍵が降ってくる。


「……ありがと」

「昨日、なくてよかったの?」

「家におばあちゃんいるから。でも今日帰るときは困るから、持ってきてくれて助かった」


 ほら、桜井くんって忘れっぽいから、と付け加えると「さすがに鍵は忘れない、英凜困るじゃん」と明るく笑われた。その背景で、気だるそうに雲雀くんが入ってくる。体を傾けて、雲雀くんの視界に入った。


「おはよう、雲雀くん」

「……はよ」


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