ぼくらは群青を探している
 桜井くんの隣に立ち、楽譜を手に取る。ぱらりぱらりと(めく)りながら「桜井くんってどんなのが好きなの」「んーなんか優しい曲」「なんか優しい曲……」桜井くんの好みに合いそうな曲を探す。ただ、上手く弾けなくても恥ずかしいのでその意味での選別はした。


「……アメイジング・グレイスは?」

「あ、それがいい」


 簡単だし、讃美歌だから桜井くんのいう「なんか優しい曲」だろう。椅子を引いて座って蓋を開けて……鍵盤を見た途端、隣に桜井くんが立っていることが無性(むしょう)に恥ずかしくなってきた。顔を上げると、桜井くんは私の気も知らないで「いいよ、気にしないで、弾いて」なんて言う。


「……そこに立たれると恥ずかしいから、ソファとか座ってよ」

「そう? そうするか」


 背後でソファに座る気配がする。それはそれで観客がいる気がして少し緊張した。

 それよりなにより緊張したのは、弾き始めて暫く、背後で小さく歌詞を口遊(くちずさ)むのを聞いたときだった。

 Amazing grace...how sweet the sound...――ボーイソプラノの優しい声だった。

 つい、途中でやめて振り向いた。桜井くんは両手に体重をかけた座り方をして、急にやんだ音楽に驚いてこちらを見ていた。


「……なんでやめちゃうの」

「……いや……、上手くてびっくりしたから」

「あー、母さんがクリスチャンだったから、よく教会行ってたんだよね」


 お母さんがクリスチャンだったことも、教会へ行っていたことも、過去形だった。


「あとよくピアノ弾いてた。多分三国ほど上手くないし、なんかちょっと違う曲だった気もするんだけど、Amazing graceは弾き語りもしてたし」

「……そう」


 Amazing grace……と桜井くんはまた口遊んだ。ほんの少し目を伏せて、まるで思い出を懐かしむように。そういえば、英語だけは頑張って勉強してるんだなんて言っていたっけ。お母さんの母国語だから特別なのかな。

 そんなことを思って、途中で演奏をやめて悪かったな、ともう一度ピアノに向き直る。

 Amazing grace... how sweet the sound...ジョン・ニュートン作詞の讃美歌。私の中では、讃美歌の中で最も人気があるというか、讃美歌に対して人気があるという言い方がおかしいのであれば、最も慕われているというか、そんな歌だという印象があった。

 悔恨(かいこん)(ゆる)しの歌。そういえば、少し前に流行ったドラマの主題歌にもなってたっけ。あのドラマにAmazing graceが選ばれた理由も、物語の登場人物たちに赦しを与えようとしたからだろうか。


「……地毛、金じゃないけど、まあ普通に明るいんだよね」


 弾き終えた後、桜井くんは不意に呟いた。


「お陰で小学生の頃よく言われた、髪の色が変だって」

「……中学生、高校生くらいになると途端に明るい髪は羨ましがられるのにね」

「そうなんだよな。でもちっちゃい頃はみんなから変だ変だって言われてイヤだったなあ。チビだったからハーフぽくもなかったし。俺も黒い髪がよかったって言ったら母さんに悲しい顔されちゃった、よく覚えてる」


 なんと返せばいいのか分からなくて、曲を選んでるふりをして誤魔化した。パラリパラリと厚紙を捲る音が静かに響く。


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