ぼくらは群青を探している
「最初の最初は侑生がカツアゲされてたんだと思う。カツアゲっていうか、あれな、ちょっと貸してって言ったらそのまま返してくれないやつ」


 家が大病院のお金持ちだから、か。それを聞くと、雲雀くんが医者の息子だと知られたがらない理由はそこにもある気がした。


「アイツ、根は素直だからさあ、最初それで金取られれてて、段々おかしいなってなって断ったらぶん殴られたからぶん殴り返して……。あ、違うかな、最初は小突かれて押し返したら喧嘩になったとかかな」まあそんな細かいことはいいんだ、とでもいいたげな口調で「んで、多分そのカツアゲの主犯みたいなのが新庄だったのかな。よく覚えてない」

「……それ、本当にただ新庄が悪くない?」

「いやそうだよ、だってアイツクソ野郎だもん」


 幼い頃から筋金入りのワルだったというやつだろうか。三つ子の魂百までというように、今の新庄は当時から悪い意味で変わらないところがあるのかもしれない。


「まあ侑生は昔っからモテるし、ボンボンだし、頭良いし、なんかムカつくなーって言うヤツいても全然おかしくないじゃん。新庄も多分それ」

「……本当にクソ野郎だね」


 深い溜息をついて、ピアノに向き直った。新庄の名前を口にする度に、頭にはあの光景が浮かぶ。だから新庄の話をしたくないとは言わないけれど、少なくともこのまま話していても意味はなさそうだった。次の曲でも選ぼうか、と楽譜を手に取り直す。


「……三国さ」

「んー」

「……新庄に何もされてないんだよな?」


 背を向けていてよかった。……たった二日で、顔に出さずにいれる自信はなかったから。

 荒神くんには口留めをお願いするメールをした。荒神くんは「分かった」と短く返してきただけだった。普段の荒神くんだったらあれやこれや色々言うだろうから、さすがに返事に困ったのだろう。そしてだからこそ、桜井くんも雲雀くんも――誰も、新庄が私に何をしたのかは知らないはずだ。


「されてないよ」


 ゆっくりと、楽譜のページを捲る。背後の桜井くんが信じた気配はない。


「……本当に?」


 体に圧し掛かられただけ。太腿を()でられただけ。胸を触られただけ。

 克明な記憶は、消えてくれる気配はない。自分の記憶力が、こんな形で仇になるとは思わなかった。


「……本当」


 私と荒神くんが黙っていれば、私は何もされていない。


「……桜井くん、カノンは?」


 振り向いて楽譜をちらつかせると「……知らない曲」肩を竦められた。誤魔化されたとまで感じたのかは分からなかった。


「卒業式とかでよく流れてるから、聴けば分かるよ」


 難易度は低く、演奏時間もそう長くない。クラシックに対して興味がなく、優しい曲がいいなんて言う桜井くんにはぴったりだった。

 ピアノに没頭すれば、少しは新庄のことを忘れられる。特に、完璧に暗譜(あんぷ)していて指の動きが楽譜を覚えているような曲と違い、時々楽譜を確認してしまうカノンなら、雑念もそれほどは混ざらない。

 ――そういえば、私の写真を撮ったのは誰だったんだろう。不意にそんなことを思った。新庄の仲間は、ガラケーで私の顔を確認していた。ということは、撮った誰かがいるのだ。でもどこで? さすがにバスで隠し撮りをされたらシャッター音で気が付く。学校の喧噪があれば、あるいは……。

 つい、雑念が混ざってしまったことに気が付いて、慌てて楽譜に意識を戻した。十六分音符が連なる部分に入ったので、雑念を払うにはちょうどよかった。

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