ぼくらは群青を探している
カノンを演奏するのにかかった時間は、ほんの五分かそこら。ただ、弾き終えて振り返ると――桜井くんはソファに転がったまま目を閉じていた。
「……桜井くん?」
音を立てないようにして立ち上がったけれど、返事はない。
近寄ると、安らかな寝息が聞こえてきた。朝五時からバイトだったと考えると仕方がない気もするけど……突然連れてこられた家で、初めて聴くピアノを子守唄代わりに寝る……?
つい、じっと見つめてしまう。こうしていると、なんだか小さな子供みたいだった。ただ、背格好は大して変わらないと言っても、もちろん桜井くんのほうが少し大きい。ソファに収まる肩幅も、私より広い。ハーフだし、遺伝子のポテンシャルがあることは間違いない。もしかしたら、二年生になる頃には、子供みたいだなんて言えなくなっているかもしれない。
ひとりにしてあげたほうが寝やすいかもしれない、そう思ってそろりそろりと部屋から出て居間に戻ると、おばあちゃんが家を出ようとしているところだった。
「今から行くの?」
「うん。英凜ちゃん、お昼は大丈夫かね」
「うん、適当になにか作るよ」
「英凜ちゃんは本当になんでもできるねえ」
まるでありがたいものでも触るように、おばあちゃんは私の腕を撫でる。
「英凜ちゃんの話をね、本当はたくさんしたいんだけどね。あんまり話しても、自慢になっちゃいけんやろうと思って、おばあちゃん我慢しとるんよ。英凜ちゃんは本当になんでもできるから」
「別に大して自慢するようなことないでしょ」
「でも、田中さんからはね、三国さんのところのお孫さん、すごくよくできるんでしょうって。田中さんのお孫さんも灰桜高校でしょ、だからね」
おばあちゃんは、入学式の代表挨拶の話を、一ヶ月以上経った今でも繰り返す。そんなの、最大限褒めたって昔取った杵柄程度にしか言えないのに。
「はいはい、分かったから。自転車で行っちゃだめだよ」
「はいはい」
ガラガラと引き戸が開いて閉まる音がしても、桜井くんが起きてくる気配はない。朝五時からのバイトで、バイト先は家から少し距離があると考えると、きっと起床は四時半かそこらだったはずだ。熟睡してしまうのも仕方がない、部屋には近づかないようにして寝かせてあげよう。
その桜井くんが起きてきたのは、まさかの十二時過ぎだった。
バタバタッと音がしたかと思うと、桜井くんは居間に飛び込んできて「ごめん俺寝た!?」とあまりにも自明なことを叫び、私がいないと分かると「……みんな消えてる!」なんて叫ぶので台所から顔を出した。
「おはよ」
「よかった三国いた! おはよ……おはよ?」
まるで犬のように、桜井くんは台所にいる私の方に寄ってきた。
「なにしてんの?」
「お昼ごはん。おばあちゃん出掛けたから。桜井くんも食べる?」
「……いいの?」
「まあ、だって、いるし」
お昼の時間なので帰ってくださいというのは、なんだか可哀想な気がした。
「食材のある限りだし、大したものじゃないけど。辛いの大丈夫?」
「めっちゃ好き」
「そっか、よかった」
それに、おばあちゃんは買いだめ癖があるから、食材が多少減ったって大したことはない。なんなら余らせずに済む。そんなことを考えながら冷蔵庫を覗いていると、桜井くんは上着代わりのシャツを脱いでティシャツ姿になった。
「どうしたの、暑い?」
「ん、手伝おうと思って」
「……料理できるの?」
「……桜井くん?」
音を立てないようにして立ち上がったけれど、返事はない。
近寄ると、安らかな寝息が聞こえてきた。朝五時からバイトだったと考えると仕方がない気もするけど……突然連れてこられた家で、初めて聴くピアノを子守唄代わりに寝る……?
つい、じっと見つめてしまう。こうしていると、なんだか小さな子供みたいだった。ただ、背格好は大して変わらないと言っても、もちろん桜井くんのほうが少し大きい。ソファに収まる肩幅も、私より広い。ハーフだし、遺伝子のポテンシャルがあることは間違いない。もしかしたら、二年生になる頃には、子供みたいだなんて言えなくなっているかもしれない。
ひとりにしてあげたほうが寝やすいかもしれない、そう思ってそろりそろりと部屋から出て居間に戻ると、おばあちゃんが家を出ようとしているところだった。
「今から行くの?」
「うん。英凜ちゃん、お昼は大丈夫かね」
「うん、適当になにか作るよ」
「英凜ちゃんは本当になんでもできるねえ」
まるでありがたいものでも触るように、おばあちゃんは私の腕を撫でる。
「英凜ちゃんの話をね、本当はたくさんしたいんだけどね。あんまり話しても、自慢になっちゃいけんやろうと思って、おばあちゃん我慢しとるんよ。英凜ちゃんは本当になんでもできるから」
「別に大して自慢するようなことないでしょ」
「でも、田中さんからはね、三国さんのところのお孫さん、すごくよくできるんでしょうって。田中さんのお孫さんも灰桜高校でしょ、だからね」
おばあちゃんは、入学式の代表挨拶の話を、一ヶ月以上経った今でも繰り返す。そんなの、最大限褒めたって昔取った杵柄程度にしか言えないのに。
「はいはい、分かったから。自転車で行っちゃだめだよ」
「はいはい」
ガラガラと引き戸が開いて閉まる音がしても、桜井くんが起きてくる気配はない。朝五時からのバイトで、バイト先は家から少し距離があると考えると、きっと起床は四時半かそこらだったはずだ。熟睡してしまうのも仕方がない、部屋には近づかないようにして寝かせてあげよう。
その桜井くんが起きてきたのは、まさかの十二時過ぎだった。
バタバタッと音がしたかと思うと、桜井くんは居間に飛び込んできて「ごめん俺寝た!?」とあまりにも自明なことを叫び、私がいないと分かると「……みんな消えてる!」なんて叫ぶので台所から顔を出した。
「おはよ」
「よかった三国いた! おはよ……おはよ?」
まるで犬のように、桜井くんは台所にいる私の方に寄ってきた。
「なにしてんの?」
「お昼ごはん。おばあちゃん出掛けたから。桜井くんも食べる?」
「……いいの?」
「まあ、だって、いるし」
お昼の時間なので帰ってくださいというのは、なんだか可哀想な気がした。
「食材のある限りだし、大したものじゃないけど。辛いの大丈夫?」
「めっちゃ好き」
「そっか、よかった」
それに、おばあちゃんは買いだめ癖があるから、食材が多少減ったって大したことはない。なんなら余らせずに済む。そんなことを考えながら冷蔵庫を覗いていると、桜井くんは上着代わりのシャツを脱いでティシャツ姿になった。
「どうしたの、暑い?」
「ん、手伝おうと思って」
「……料理できるの?」