消えた三日月を探して
 私の本業はお針子。そして今急ぎの仕立てが入っている。だから例え一日でも接客だけで貴重な時間が潰れるのはとても惜しく、展示会場での仕立てを条件にこの場にいるのだ。後日しっかり埋め合わせしてもらおうと胴接ぎにまち針を打ち立ち上がると、それをクロームメッキの着物スタンドに掛けた。

 袖付けも終わり大体の形が整ったならば、次は表と裏の釣り合いを見なければならない。全体を確認すべく引き上げたスライド棒に、畳から上げられる着物の裾が微かな衣擦れの音をたてていた。

「でもさぁ、どっか行けって言われてもなぁ⋯⋯」と、会場内をぐるりと見回しため息を吐く久遠。展示されている着物を眺めたり、並べてある反物を手に物色するマダムな方々に、気が乗らないと文句タラタラ。

「お前、可愛い子呼んで来いよ」

 左横から飛んで来る無責任なその言葉に、「あのね⋯⋯」と項垂れる。かと思えば鬱陶しいほどの距離感で離れてくれない彼に、「私は数には入ってないでしょ?」とその肩を押し退けた。軽く仰け反るも「そんなことないよ」とわざとらしくこの腰に回された意外と逞しい腕が、彼の本職を思い出させる。

 庚久遠────彼は一般的には珍しい、着付けを専門に行う男性の着付け師だ。見かけは全くの女だが、その技術は確か。普段は主にレンタル着物店で着付けを行っているが、夕方頃になるとあちこちの置屋を回る『男衆(おとこし)』としても活躍している。手広くやっているなと感心すれば、お姐さん方に可愛がられるのが嬉しいのだと鼻の下を伸ばしていた。

「そんな冗談いいから、ふざけてないで自分の仕事してよ。ボランティアじゃないんでしょ? だったらお給料分は働いて下さい」

「そんなに俺を追い払いたいわけ?」

「うるさくて集中出来ないの!」

 振り返れば、ワザとらしいションボリ顔でこちらを見つめる彼と目が合う。そんな顔しても可愛くないと、今度は湿布布を投げつけてやった。

「お前も酷い女だよな」

「そりゃあ失礼しました」

 謝罪は棒読み、気持ちはゼロ。そんなだから「可愛くねぇな」と言われる。可愛くなければ「可愛さ」なんて求めちゃいけない気がしていたが、やはり女は「女」なのだ。

 自覚があるうちはまだマシかと、少し縮めすぎた(おくみ)裏に頭を悩ます。胴接ぎなら縫い直してもどうってことないのだが、衽裏は糸を解かなければならない箇所が増えるから尚のこと面倒。あわよくばコテで直ればと、あて布に霧吹きをかけた。

 今度は慎重に具合を見ながら微調整をしていると、久遠が小さく「あっ⋯⋯」と呟く。その声に思わず顔を上げ視線を泳がせると、目が合った一人の若い男性がこちらに近づいて来ているのが分かった。
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