消えた三日月を探して
「今、スタッフ総出で探してるらしいんだけど、全然見つかんないって」

「だとしたら、もうここにはいないんじゃない? 他に心当たりとかないのかな?」

「あったらもう見つかってんだろ。いくら探してもいないとなると⋯⋯もう完全にバックレてんな。十五分もありゃ、逃げるには余裕だろ。他の人はさぁ、よくあるマリッジブルーっていうの? だと思ってそっとしておいたらしいんだけど────」

「人生考えすぎちゃったのかな?」

 結婚はその人の人生において、大きなイベントの一つであろう。この先の生き方を大きく左右されることになる、ある種の分岐点だ。どんな事情があったにせよ、式当日にドタキャンともなれば一大事。一流ホテルで結婚式なんて、花嫁に憧れる人にとっては羨ましい限りだろうに。逃げ出したいほどの大きな迷いが生じてしまったのか? 本当のところは花嫁本人にしか分からない。

 別に私には関係のないことなのだが、自然と身体が動いていた。手にしていたコテを釜に戻し、協力を仰がれたという久遠の後を追う。見つかるかどうかはハッキリ言って望み薄だが、会場に来てくれていたお客さんにすぐ戻ると声を掛け、私も彼と共にホテルを出た。

 各々が散らばりあちこちを確かめる。久遠とは反対方向へ走りながら、車と人が行き交う大通りを広く見渡し先へと進んだ。

 その時、前方を見ていたこの視界を、白い何かがスっと横切っていく。慌てて振り返りそれを目で追えば、車道を挟んで向かい側の歩道を、人混みに紛れ白いベールらしきものがひらひらと靡きながら小さく遠ざかって行くのが見えた。

 その姿に確信を得た瞬間、この身体は反射的に動いていた。

 花嫁を見失ってはいけないと、その姿を追うことに一生懸命に。集中しすぎると周りが見えなくなってしまうこの性格は、横断歩道の信号の変化にまで気を回すことができなかったのだ。道路上に踏み出した時にはもう信号は赤に変わり、身体は車道のド真ん中。遠ざかる花嫁の後ろ姿と、クラクションを鳴らしながら迫り来る黒い鉄の塊に、頭は瞬時にパニック状態に陥っていた。

 硬い岩のよう硬直する私を、周囲の人たちも唖然としながら見ている。その様子をまるでスローモーションのように、私自身も俯瞰で見ている感覚だった。

 逃げることもできず「終わった」と目を閉じたその時────立ち尽くす私の腕を強い力が思いっきり引っ張る。

 見上げた先に眩しく光るのは太陽。逆光となりボヤける視界にその表情を窺い知ることはできず、輪郭さえ暗く影を落としている。唯一はっきりと見えたのは、細い三日月とそれと同じ柄を模した風に揺れる花丸紋柄の黒い袖の振り────⋯⋯。

 真っ昼間に三日月────?

 どこか現実味に欠けるそれは、またもやの白昼夢か? それともただの幻⋯⋯?

 ギリギリのところで車をかわすことができたこの身体は、気づけば誰かの腕の中にあった。

 我に返り背中を支える温もりに見えたものは、見覚えある黒髪。長く伸びた前髪に色白な肌を持つ、あの青年の姿だった。

「大丈夫か?」と気遣うセリフに無事だと答えるかわりに浅く頷く。助かったと深く息を吐き絞り出した「ありがとう」に、言葉少なく「あぁ」と答えるだけの相手。そんな彼の背後、少し離れた場所から「行くわよ」という女性の声が呼んでいた。

 スマートで流れるような仕草に不覚にもカッコイイと見入ってしまっていた私に、ゆっくりと押し寄せる記憶の波。見覚えあるのも当然のことながら、こんな所で会うことになろうとは思いもしなかったその後ろ姿に、初めて会ったあの川岸の土手で交わした会話を思い出す。

 ようやく思い出した『狭山堂』に繋がる記憶に、せっかく見つけた花嫁の姿を完全に見失ってしまっていた。
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