消えた三日月を探して
花洛(からく)』────それは日本情緒溢れる郷愁を誘う古の都。中でも(きざはし)花守町(はなもりちょう)粋美(すいび)朝霧町(あさぎりまち)といえば、この辺りでは有名な茶屋街だ。そんな花街(かがい)のひとつ、階の一角に私の勤め先である呉服店『椿姫屋』はある。

「おはようございます────てか、こんにちは?」

 正午前の挨拶は「おはよう」なのか「こんにちは」と言うべきなのか、いつも迷う。

 高校の時、アルバイトで勤めていたこの『花扇(はなおうぎ)』は、『椿姫屋』に隣接する小間物屋。通い慣れた店先の暖簾を潜れば、藍染の作務衣にジーンズ姿の店主、高崎直哉(たかさきなおや)が「おはようさん」とそれなりなテンションで出迎えてくれる。長身短髪でモデル体型の彼は見かけも「クール」だが、その性格もどちらかと言えば乾いていた。

「あぁ? ぁんだよ、元気ねぇな。昼間っからシケたツラしてんじゃねぇよ」

 そんな一言に「これが、いつも通りです」と簡潔に答え、持っていた手荷物をレジカウンター横に置く。「あぁ、そう」という存外テキトーな相槌で頷くその人だが、なぜだかその人柄には癒されていた。

 実家から仕事場までは程よい距離。近くもないが遠いと言えるほどでもなく、歩くには丁度いい。

「直哉さん今日、お昼からいないんだっけ?」

 ふと思い出したのは、昨日交わした他愛のない雑談。友人から相談があったそうで、半日だけならとその頼みを引き受けたらしい。「仕事もあるのに迷惑だ」と愚痴りながらも、本業を休んでまで友人のピンチに駆けつける────そんな彼の義理堅いところが私は大好きだ。

「何だかんだで友だち思いなんですよね、直哉さん」

 そう隣にある鼻筋の通った横顔を見上げれば、「そんなんじゃねーよ」とそっぽを向く。その照れ隠しがどこか可愛くて微笑ましかった。

 長雨の間の太陽ほど、有難いものはない。このジメジメが少しでも解消されるならと、伸びてくる光りに思わず手を止め外を眺める。

「ほぉ⋯⋯珍しく男に見惚れてる?」

 そう声をかけられた気がして振り返る。指差す直哉さんの視線の先を辿ると、店の前を横切る白いシャツにグレーのロングカーディガンを着た青年が視界に入った。

「観光客か何かか? お前のタイプ?」

 冗談めかしていう彼に、「綺麗な人だなって思っただけ」と反論する。

「その割にはガン見だろ?」

「綺麗だしイケメンなんだけど、何か引っかかるなぁって⋯⋯」

 ゆっくりと押し寄せる記憶の波は見覚えあるその姿を克明に記録しながらも、まさかまたこんな所で会うことになろうとは思いもせず。初めて会ったあの川岸での出来事から、記憶に新しい昨日の事故寸前のアクシデントを思い返していた。
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