消えた三日月を探して
 その日は珍しく客足が少なく、仕事に没頭し続けた結果、少しの休憩を取るつもりがすっかりうたた寝。そしてそのまま爆睡するが如く眠り続けてしまったのだ。

 目覚めたのは陽が西に傾いた頃。深い眠りのおかげでボヤける現実に、すっかり忘れていた届け物を思い出し一気に目は覚める。来たる夕暮れを迎える空に大慌てで店を出ると、とにかく行ける所までめいっぱいの力で駆け出していた。

 私のいる階から四間川を挟んで対岸にあるその町は、花洛でも一二を争うほど老舗が多く立ち並ぶ茶屋街だ。

「やっちゃったなぁ⋯⋯」と呟きながら渡るのは、二つの町を繋ぐ『階守橋(かいしゅきょう)』。その大きな橋の上、行き交う車の走行音を聞き流しながら、右側に見える穏やかな川の流れを見下ろし進む。重い気持ちは引きずったまま渡りきった橋の袂、その足取りは目的地が近づけば近づくほど重くなっていった。

 基本的にそう動き回る仕事ではないので、運動らしい運動は全くしない。だからたまの散歩だと思えば程よい距離なのだが、手にした風呂敷包みがそうはさせてくれなかった。

 出不精になってしまうのは性格上致し方ないとして、明らかに運動不足なこの身体は多少の動きで早くも息切れ。住まいと仕事場の往復ぐらいしか歩くことさえしない運動量に、色んな意味でヤバイなぁとオレンジに染まる雲を見上げていた。

 目の前に広がる古い街並みは、他の茶屋街とそう変わらない。規則正しく敷かれた石畳に導かれるよう先を急げば、背中から差し込む夕日が私の影を細長く伸ばしていた。

 一歩先行く影法師。それに意識を取られ伏せ目がちに歩いていたから、気づけたはずの人影にさえ気づけなかったのだろう。

「いやだから、そこにいるのは聞いてるけど⋯⋯そう簡単にっ────」

 そう聞こえた声に反応し、上げた視線が捉えた曲がり角。気づいたが時すでに遅しで、路地を左に曲がった瞬間、出会い頭に誰かと盛大にぶつかった。勢い余ってその場に尻餅をつきつつ、「すみません!」と相手を見上げる。沈み行く太陽が照らし出すセピア色にも似た世界に浮き上がってきたのは、ヘアカラーを施していないナチュラルな黒髪と、その綺麗な顔の輪郭だった。

 ショートボブのヘアスタイルに、目にかかる長い前髪。そこから除く深い焦げ茶色の瞳が、そっと通り抜けていく盛夏の風に露わになる。注がれるもの言わぬ視線に、珍しくこの心はざわついていた。

 ポカンとしたままそこにつき座る私を、相手は静かに見下ろしている。「大丈夫?」の言葉は抑揚なく、差し出された色白の綺麗な手が私の腕と背中を支え、ほどよい力で引き上げてくれた。
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