消えた三日月を探して
 そよそよと吹く風に揺れるのは、彼の首に掛けられている長いストール。白と黒のそれは我が名を語る“市松”模様で、落とした視線は軽く波打つそこで止まった。「怪我はない?」とこちらを窺う言葉に引き戻された意識。視線を上げ「大丈夫です」と無傷なことをアピールするが、目が合った彼の言葉は「そう」と愛想もへったくれもなかった。

 初対面より下がる好感度に、思い出す時間もいらないほどすぐに分かった存在感。

 どことなく見惚れてしまうその仕草と雰囲気には意識せずとも感じる色香があり、久遠とはまた異なった意味で、相手が男性だということに悔しささえ覚えてしまう。

 そう、あの「彼」だったのだ。

 強く印象に残っているのは当然の結果で、初対面の人相手に目の前で号泣してしまったのはそんなに古い記憶ではない。彼がこちらのことまで覚えてくれているかどうかは不明だが、地面についていた腰の埃を手で払いながら、あの時の懐かしいような気恥しいような奇妙な感覚を今更ながら思い返していた。

 ふと、その人が呟く。

「⋯⋯ってか、いいの? あれ」────と。

 指差された方角に「何が?」と目をやれば、石畳に放り投げられ広がっていた着物。「うそぉー!」と駆け寄り急いで拾い上げる私に、彼はそこら辺に散らばった残布と風呂敷を広い上げてくれていた。

 一瞬青ざめてしまったが、汚れやキズは見て取れない。しかしこんな道端でしっかりとした確認作業などできるわけもなく、とりあえず軽く叩き土埃を払いながら簡単に畳むと、手渡された残布をそこへ重ね置いた。ここまで来て、たとう紙に包んでこなかったことを酷く後悔。今朝方目にしたあの花丸紋の反物を彷彿とさせる紫を基調としたその柄に、後で女将さんに謝らなければとそれを抱え直した。

「綺麗な柄だね」

 肩を落とす私の頭上から降ってくる声は、賞賛を含んだ感想。「ありがとう」と返す社交辞令に、姉がデザインしたものだと付け加えれば、「君って、ここら辺に住んでる人?」と聞き返される。付いていた糸くずを払いのけ、やはり記憶にさえないかと頷き肯定した。

「なら、『かわ乃』⋯⋯っていうお茶屋さん知ってる?」

「そこなら、この道を真っ直ぐ行ったところにありますけど⋯⋯」

 若い男の人が置屋に何の用だろう? と小首を傾げつつ、自分の行き先もその『かわ乃』だと告げる。少々急いではいるが目的地が同じならば案内しない方が不親切だと思い、「よければ、ご案内しましょうか?」と声をかけた。

「あー⋯⋯、『かわ乃』がどこにあるかっていうのは知ってるんだけど、お茶屋さんってそう簡単には入れてもらえないでしょ? けど、待ち合わせしてた友達が、今そこにいるからって」

 その友人とやらは、この町で着付け師の仕事をしているらしい。そして今その『かわ乃』にいるから、その辺で待っていて欲しいと言われたのだとか。そんな彼の話からその友人というのが誰なのか、何となく分かった気がしていた。
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