消えた三日月を探して

◌ ͙❁˚参『縁は異なもの味なもの』

「こぉらぁぁぁ久遠! 待たんかいぃぃぃ!!」

 徹夜明けの正午過ぎ。どこからともなく飛んできた怒号に肩が跳ね上がる。もはや見慣れたこの光景に、「またか⋯⋯」と大きく背伸びをした。

 目の前を紺桔梗色(こんききょういろ)に染められた小袖(こそで)に、臙脂(えんじ)の袴姿で激走する一台の白い自転車。それに自身の足で追いつこうとする(よわい)七十を越えた白髪の老人を目撃し項垂れる。その人は履いていたであろう下駄を左右両手に握りしめ、若者にも負けないほどの全力疾走で先行く自転車を物凄い形相で追いかけて行った。

 その姿たるや、元気なことこの上ない。

「ある意味、周りが心配するって⋯⋯」

 そうひとりごちて、苦笑い。

 こっちは昨日の今日でもうクタクタ。これまでにないくらいの集中力とスピードで何とか納期を守ることが出来たが、さすがに精魂尽き果てていた。そこへ梅雨の中休みにお見舞された炎天下。それにも負けないほどのパワフルさを振りまくエネルギッシュな爺さんのご登場に、疲れは瞬く間にピークに。その体力、一体どこから湧いてくるのだろうか? 年の割に有り余る勢いで、本当に自転車に追いついてしまうのではないかと思ったほどだ。

 しかしながら、さすがの超人でも文明の利器には勝てなかったらしく、観念したその人は右手に持っていた下駄を先行く自転車目掛けてその場からおもいっきり投げつけていた。

 するとどうだろう? 半ばやけクソなその一投が、見事前方を行く全く関係のない人物の後頭部にクリーンヒット。「ありゃっ⋯⋯」っとこぼす老人は、そのまますっとぼけたようにそっぽを向いた。

「もう、(げん)さん!! 知らん顔しない!」

 言う私は「いってぇな⋯⋯」と頭を擦りながら、こちらを振り返る人物に視線を向ける。言葉とは裏腹に、その様子は全く痛がっているようには見えない見知った顔に、心配するべきなのか、笑ってやるべきなのか迷ったくらいだった。

「直哉さん、大丈夫?」

「あぁ。ったく、あのクソジジイ、相変わらずだな。久遠はどこ行った?」

「逃げた」

 元気すぎる爺さんはやはりバツが悪かったのか他人顔。素知らぬ様子で明らかに誤魔化そうとしているから、それは通用しないと言葉を投げた。

 その人は通称「源さん」。この辺りで着付け専門を商いとする唯一の人であり、その世界ではベテラン中のベテラン。『庚源三(かのえげんぞう)』────その人だ。ちなみに、久遠のお爺さんというのはこの街では誰もが知っていること。
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