消えた三日月を探して
 先ほど帰ってくる時には真上にあった太陽。今は当たり前のことながら西に傾き、来るべき夕暮れ時をゆっくりと数えている。焼けた石畳からの照り返しにうんざりしながらも何とか歩を進める私は、完全に寝不足なグロッキー人間だった。

 なぜか『椿姫屋』に入る手前で立ち寄ってしまう『花扇』。毎日の習慣となってしまっている行動は、もはやそう簡単には変えられない。道草も仕事のうちだと、時には店頭に立つこともあるその店の暖簾を潜れば、いつもの店内にこれまた最近ではお馴染みとなったその姿を捉えた。

 いつもなら何でもない風景が、今は店内に入るのも足が重い。

 先日のあのやり取り以来どこか気まずくなり、あれから何となく久遠を避けていた。いつでも、何でもウェルカムな彼が初めて私に見せた拒否反応に、少しショックを受けていたのかもしれない。

「いらっしゃい」と真夏の暑さにも負けない熱気を漂わせた店主に、「どうも」と軽く会釈で答える。お昼たまたま会った直哉さんに、下駄をぶつけられた頭は大丈夫かと心配すれば、なんてことないと笑っていた。

「何かあったの?」

 私たちの会話にそう反応する久遠は、全くもっていつもの彼。姉にしろ久遠にしろ、その気持ちの切り替えの早さが、私は羨ましくてたまらなかった。

 今日も彼の頭には下がり簪が挿さっている。揺れる紫陽花を模しその髪飾りに、四季折々、それに合った花簪を挿している久遠。一体いくつ持っているんだ? という疑問は随分前から感じていたことだった。

 そんな興味からまじまじと見つめてしまっていた目の前の美丈夫。ふと視線が重なった瞬間、彼が微かに眉を寄せた。

「ってか、お前⋯⋯すっげぇ疲れた顔してるけど、どうした?」

 思わず優しい声色でそう尋ねられ、意外にも胸が少し高鳴る。「もしかして⋯⋯」と言葉につまる彼も昨夜のことを気にしていたのか困惑気味で、そうじゃないと否定しながらも私は作り笑顔をその顔面に貼り付けていた。

 そこへ絶妙なタイミングでひょっこりと顔を出した雰囲気の破壊神。久遠の姿を見つけるが早いか「いたぁ!」と叫ぶその人が、今は救世主のようで。

「もう! うるさいなぁ。何なの?」

 そう言葉で発しながらも、内心は「ありがとう!」と合掌。

 それにしても母といい姉といい、本当に声がデカい。近寄る彼女をそう非難すれば、「あんたもそう変わらない」と返り討ちにあった。

「っていうか、久遠がいたなら連絡してよ」

「そんなこと言われても」

「久遠、あんたもあんたよ。隣にいたんなら顔くらい見せなさいよ。まったく」

「市松が来たら一緒に行けばいいかって思ってたんだよ」
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