消えた三日月を探して
「美咲ちゃん、悪いんだけど⋯⋯」

 申し訳なさそうに切り出す久遠に、全部言わなくても分かっていると姉の声が聞こえた。

「仕事でしょ?」

 こっちは大丈夫だからと笑顔で彼を送り出す。「狭山、悪いな」と旧友相手にひと声掛ければ、名を呼ばれた相手も「気にしなくていいよ」と少しぶっきらぼうに答えていた。

 「じゃあ市松、またな」と軽く手を上げ去りゆく気配は、駆け足で店内を出て行く。

「それじゃあ、私は直哉のとこからコーヒー貰ってこよう」

 相も変わらずマイペース過ぎる姉には売る喧嘩などもう一言も出てこない。昨日壊れたらしいコーヒーメーカーにカフェインが足りないと、少しだけ席を外すと言う声が暖簾越しに聞こえた。狭山さんにもコーヒーはどうかと尋ねていたが、自分はさっき飲んだばかりだと断る彼に「そう?」と答えながら、私には聞いてこないその気の利かなさが最近では面白くもあったりで。ひとり思い出し笑いしながら和裁ゴテとアイロンに電源を入れるた。

 電気で直に温められるアイロンとは違い、熱せられた電気釜に差し込むことによって温まるコテは、それが高音になるまでには時間がかかる。ただ待っていても時間の無駄なので、とりあえずはアイロンで地直しをするため仕立て台の前に胡座をかき座った。

「入ってもいい?」そうそっと聞こえた声に、斜め後ろを振り返る。「どうぞ⋯⋯」と躊躇いがちに答えれば、カメラを手に暖簾を潜ってきたその人は、仕立ての準備を始める私をただ静かに見ていた。

 静まり返った室内には、ただ衣擦れの音だけが響いている。その後が続かなかった会話だけれど、そっと呟く狭山さんの声が仕立て台を挟んで地直しをする私の目の前から聞こえた。

「この机、すごく低くない?」

 言われればそうだなと、アイロンを当てては巻き当てては巻を繰り返しながら、高さ二十センチ前後の仕立て台の下を確認。

「これくらいの高さが当たり前だったから、そう改めて言われると⋯⋯そうだね」

 地直しを終え今度は総尺を測るべく二尺差しを手にした時、黙々と作業をする私の手元を一瞬の光が遮った。カシャッと聞こえるその音に驚き顔を上げれば、目があったその人は「写真⋯⋯撮ってもいい?」と、今更ながらの許可を請う。

「もう撮ってんじゃん」と軽く返し見上げる綺麗な顔に瞬間の眼差しが鋭く感じられて、思わず「睨まないで」と一言こぼしていた。

「いや、睨んでなんかないし」

 人聞き悪いことを言うなと言う彼は、自分はそこまで攻撃的な人間ではないと互いの身長差を指摘する。そう言われればそうかもしれないと、再び視線を手元に戻した。
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