消えた三日月を探して
 側溝の穴に見事ハマったローヒール。それが折れた拍子に捻ったか挫いたかで、足に走る痛みはそれなりの激痛だったのだ。半額セール品のお値打ち価格では、この図太い足首も支えられなかったようで。時すでに遅しと擦りむいた手の平から滲む赤黒い血に、気分はまたも急降下していった。

「うわっ、すいません!! 大丈夫ですか!?」

 自転車を投げ捨て駆け寄り、こちらを窺う声に頷きながら見上げた顔を思わず二度見。聞こえた声は明らかに男性のものなのに、「やっば⋯⋯」と目が合ったその人の容姿はまるで────女の子。

 高く結い上げた栗色の髪に、揺れる藤色のさがり簪。赤い矢絣(やがすり)のた小袖《こそで》と袴姿でしゃがむ彼か? 彼女だかは、取り敢えず左手の平の傷を気にかけながら、「立てます?」と大層心配そうで。多分軽い捻挫であろうが、安物とは言えパンプスのヒールが折れるほどの衝撃だったのだ。朝から散々だと、近くの壁に持たれ軽く頷き立ち上がった。

「痛ぁ⋯⋯っ」

 右足に体重をかければ激痛が走り、自然と重心は左側に。歪む表情にしきりに「病院へ」と急かされはしたが、それには及ばないと断る。ならばせめて手当てをと支えられ連れていかれたのは近くにあった小料理屋だった。

「女将さん、救急箱あります?」

 暖簾を潜るなり声を上げるその人に、「あら、久遠さん? どうしたの?」と私たちを見て驚く着物姿の女性。「救急箱なら奥に」と答え、その女性は室内の暖簾の奥に消えた。その間に肩を貸してくれていた『彼女』は、意外や意外の腕力で決して軽くはないこの身を軽々と抱き抱えてくれる。細身ながらもがっしりとした身体つきはまるで男性の如く抜群の安定感で、そのまま座敷まで運んでくれた。

「それにしても、何があったんです?」

「自転車に乗ってた彼女⋯⋯? とぶつかっちゃって」

 私を気遣いながら尋ねる年配の綺麗な女性にそう答えながら、何か心に引っかかっていることに気がつく。

「俺が悪いんですよ。よく見ないで路地から飛び出したりしたから。悪かったな⋯⋯⋯⋯市松」

「⋯⋯⋯⋯────へっ?」

 マヌケな顔にマヌケな反応。添えた感嘆符の後に続く言葉もないまま顔を上げれば、自身を指差し自分は『男』だと訂正する。彼女────基、彼は、私の名前を知っていた。

 驚きその顔を凝視。思えば耳に馴染む聞き覚えのある相手の名前に、こんなに可愛い男の子の知り合いなんていたっけ? と首を傾げていた。そんな私の反応が余程おかしかったのだろう、一瞬目を丸くした女将さんが声を殺して笑っていた。
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