消えた三日月を探して
 それから一時間ほど他愛もない話で紛れた気分は、ある程度リフレッシュできたが、心のモヤモヤは晴れないまま。取り敢えず仕事には集中できそうで、その場の片付けを済ませ仕立て台の前に座る。

 これからお座敷だと帰っていく絹花に、「ありがとう」とその姿を見送った。

 とにかく今は仕事だと、針を引き抜き糸すごき(縫った後に糸に緩みを入れる作業)。玉留めをして生地を台に置きコテを当てる私の作業を目で追いながら、麻都衣は大きな欠伸で私の折角のやる気を奪おうとする。

「あんたねぇ⋯⋯」と睨みながらコテを釜に戻すと、差し戻るそれがカシャンと音を立て綺麗に収まった。

「もう、止めてよ。こっちが眠くなるでしょ?」

「ごめんごめん。つい⋯⋯」

 アイラインが取れぬよう目尻の涙を拭いながら、悪戯に笑う彼女が壁掛け時計を見上げたその時、視界に入っていた暖簾が風に揺れる。それは言わずもがな、来客の合図となっていた。

「市松、いる?」と今や聞き慣れた低くも優しい声。躊躇いがちに覗いてくるその口元には絆創膏が貼られ、その綺麗な顔に青アザを作っていた。

「聡司?」

 要らぬお節介をやいたのは麻都衣。彼女は「用事があったんだった」とわざとらしく帰る準備をすると席を立つ。去り際に「後で話聞かせてね」と小声で耳打ちし歩き去っていく親友を瞬きしながらその目で見送った。

 お針を持ったまま彼女の姿を視線で追いかける私に、聡司は「もしかして、邪魔した?」と様子を窺う。空気読めなくてごめんと謝る彼は、上がってもいいかと珍しく他人行儀だった。

「あの後⋯⋯大丈夫だった?」

 まだ記憶に新しい昼間の出来事に、鮮明に思い出されるその時の光景。

『分かったこと言ってんじゃねぇよ!!』

 そう聡司に食ってかかるあの時の久遠の顔が頭から離れず、その残像をこの脳裏から追い出せないでいた。

「問題ないよ。俺の方こそ、今日はごめんな」

 謝る彼に何故かと問う。痛い思いをしたのは聡司の方だ。私は無傷。

「けど心は傷ついたはずだ」

「知ってる? 心って実は傷つかないんだよ。傷つくのはプライドなんだって。私にはそのプライドもないから大丈夫」

「お前は『大丈夫』ばっかりだな」

「口癖なの」

 疑問なのは何故、久遠も聡司もそうまでして私を守らなければならないと思っているのか?
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