消えた三日月を探して
 今日はもう終わり。盛りだくさんの一日でクタクタだと片付け始めた座布団の側、無造作には置いてあったスマホが不意に着信を告げた。目を向けるディスプレイには、『久遠』の文字。畳に振動するバイブは止まることなく鳴り続け、「出ないの?」と気にする聡司が指さした瞬間にそれは止まった。

「後でかけ直すから⋯⋯いいの」

「そう」

 何となくだが、着信の相手が久遠であることに気づいたのだろう。彼はそれ以上突き詰めてはこない。

 妙な雰囲気の中、距離感をとりつつ会話をする私たちに、空気を読んだ姉が「それじゃあ」と席を立つ。自分は先に帰るから戸締りをよろしくといつものように頼まれ、受け取った鍵をジーンズのポケットに閉まった。

 店の電気を切り戸締りをした後、警報装置を作動させその場を離れる。すっかり遅くなったことを謝る私に「俺が勝手に押しかけたんだから」と気にするなと肩を叩かれる。

「こっちこそ、悪かったな」と逆に言われ首を傾げた。

「道中のこと?」

「他にある?」

「そう⋯⋯ね」

 そう呟いて空を見上げた。

 夜の花街が私は大好きだ。生まれ育った古の時を刻むこの美しい街並みは、初めて訪れた人たちをも虜にする。

 すれ違うのはお座敷帰りの芸舞妓とほろ酔い気分のお客さんたち。石畳を行く舞妓のおこぼが、こぼっこぼっと可愛らしい音を響かせていた。

 提灯に行燈。風情ある景色が、ザワつくこの心をそっと包んでくれる。

 会話らしい会話もなくそぞろ歩く夜の街。今晩は家にまで仕事を持ち込むことになり、持ち帰ることとなったくけ台。肩に掛けた袋の中で、歩く度にカタカタなるかけ針が背中でうるさく鳴っていた。

 ふと、前方に見つけた袴姿の人影。見慣れたその姿に、聡司も気づいたようだった。

 行燈に灯され浮かび上がる鮮やかな朱色の玉垣。その側で彼は腕を組み、立ったままスマホをいじっている。

「久遠?」

 無意識にこぼれた呟きに、彼がこちらを向いた。

 歩き近づいてくるその雰囲気は、隣にいる聡司に気づくや否や鋭くなる。

「何で、電話出ないんだよ?」

「ちょっとバタついてたから、家に帰って落ち着いたら連絡しようと思ったの」

「コイツと一緒だから、出なかったんじゃねぇの?」

 いきなり何を言い出すのかと否定するが、久遠は聡司を睨み返し、聡司もまた鋭く相手を見据えている。またも一触即発な空気に上がる心拍数。何も言葉を発しないまま睨み合う二人が、私には恐怖だった。
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