砂時計は止まらない
「遅かったね」
「残業だったから」
「そっか。お疲れ様」
「うん」
「ってか寒いのに。もっと暖かい格好をしなよ」
悠真は心配そうな表情で私の肩にスーツの上着を掛けてくれる。そんな悠真の優しさがいちいち私の心を揺さぶる。
「どうしたの?」
声を振り絞ってやっと聞けた。顔は笑えていないと思うけど。
「顔を見にきた」
悠真は優しく笑って私の頭を撫でる。その懐かしい感覚に期待と切なさで涙が出そうになった。
「そっか。これ、返すよ」
何とか泣きそうなのを我慢して悠真に上着を返す。シャツ1枚で悠真の方が絶対に寒いはずだもん。
「着ときなよ。俺は暑いくらいだし」
そう言って返した上着をさらに着せてくる悠真に思わず抱きついて甘えたくなる。暑いなんてただの強がり。人一倍寒がりなくせに。優しすぎて胸が痛い。
お礼を言って大人しく上着を借りたら悠真は満足そうに笑った。こんな風に悠真が穏やかに笑うのを見るのは別れて以来、初めてかも知れない。
「あのさ……」
しかし、悠真は私から目を逸らすと穏やかな表情から一変して、苦しそうな表情を浮かべた。
「何?」
嫌な予感が全身の神経を逆撫でる。嫌だ。聞きたくない。心臓が嫌に騒ぎ立てる。漠然とした不安に駆られる。
言われなくても表情でわかってしまった。ずっと子供の頃からの付き合いだったんだもん。
わざわざ捨てた私に会いに来たのは。こんなにも優しく接してくれる本当の理由は。
「俺、結婚することにしたんだ」
本気で最後の別れを告げるため。