仙女の花嫁修行
「可馨様、申し訳ありませんでした」
讙退治が終わり屋敷へ戻って早々に、師匠である可馨に頭を下げた。
「俊豪なら出来ると思ったのに」
「…………」
じんわりと口の中に鉄臭い味が広がる。
明明と一緒に讙退治へ行くよう言われた時、可馨からもう一つ指示を出された。
明明を落とせ、と。
自分が思いを寄せる相手のことだ。あまり多くを説明されなくても分かった。
可馨が長く引きずっている相手が明明の師匠、颯懔であること。蟠桃会の2日目から様子がおかしかったら事から、前日の晩に何かあった事は分かった。その颯懔が明明と婚約関係にあること。そして最終日の可馨の指示。
俺が明明を颯懔から奪い取って、颯懔の嫁の座を開けろと言うことだろう。
無理がある。
颯懔と明明が一緒にいる所を見たのは僅かだったが、お互いに好きあっているのは明らかだった。
そんな二人の仲をどうやって引き裂けと言うのか。
「無理です」と答えた俺に可馨は、押し倒してでもものにして来いと言った。女は少々、強引なくらいが好きなのよ。明明は俊豪のことだって好きそうじゃない、と。
明明が俺に好きと言ってくれた時は、想像以上に嬉しかった。その意味が色恋ごとではなかったから尚更。
元々俺は、裕福な家庭に生まれた。一族は宮廷で幅を利かせる高官が多く、父親もそうだった。
「坊っちゃま、坊っちゃま」と呼ばれて、着るものにも食うものにも困ったことなど無い。勉学も武術も人並み以上。早々に官として宮廷で働き始め、将来は見えていた。
蹴落とそうとする輩がいる一方で、擦り寄ってくる者もいた。親しげに話しかけてくるのも、褒めておだててくるのも下心があるからと、擦れた考えを持っていたせいで、友と呼べる者は少なく心はいつも空っぽで虚しかった。
ある日、俗世に来ていた可馨に仙骨を見出された俺は、花のように笑う彼女に一瞬で心を奪われてしまった。弟子にならないかと聞かれて、考える間もなく二つ返事で弟子入りした。
仙には歳の差など関係ないのなら、俺にも必ずチャンスはやってくる。振り向いて貰いたい。
仙が婚姻関係を結ぶ目的は精気の交換にあるのなら、自身の精気の量と強さを上げればいい。
早くこの人に追い付き、追い越したい。
その一心で修行を重ね、誰からも「優秀」と言われた。そして優秀の褒め言葉の後には必ず、「でも、天才・颯懔には敵わない」とも。
どんなに努力しても、天才の域には届かない。
僅か十数年で神遷の仲間入りをした颯懔。一方で俺は、優秀と言われても未だ地仙にもなれていない道士。
劣等感と苛立つ俺の前に現れたのは、颯懔の弟子、明明だった。
初めは馬鹿な人間だと思った。
正直で、真っ直ぐで、鬱陶しいくらいに一生懸命で。
そういう人間が沈んで行くのを、俗世で何度も見てきた。裏切られ、傷つけられて黒く染っていくか、程度の低い生活を送るか。
善が基本の仙人の世界と言ったって、大して俗世と変わらない。
他者より優れていると言う優越感も、物欲も、妬み嫉みもごく当たり前にある。
何故あんなに真っ白でいられるのか。
そんな明明に損得も恋心も抜きで、ただ人として好きだと言ってくれた衝撃は、俺の決心を鈍らせた。
この人を傷付けたくない。
それでもやるしかなかった。
そんな方法でしか惚れた人を喜ばせられない。
無理矢理に組み伏せても、明明は変わらなかった。
ただ真っ直ぐに、俺と向き合ってくれる。
明明が何をどこまで気付いて「可馨様の代わりにはなれない」と言ったのかは分からない。でもそれ以上の事は出来なかった。
今なら何故、俺が仙籍になかなか入れないのか分かる気がする。
それはきっと、明明と俺が真逆の道士だからだ。
答えずに黙っていると、落胆の色を濃くした可馨が溜息をついた。
「もういいわ。他の手を考えるから」
「……その様な策を巡らせても、颯懔様の心は手に入らないのではないでしょうか」
「うるさいわね!!」
バンッと卓の上にあった木簡を投げつけられた。頬に当たり痛みが走る。
「貴方に何がわかるのよ!」
「分かります。可馨様と俺は似ていますから」
かつて公女だった可馨は俺とよく似ているし、俺以上に気位が高い。
明明と出会っていなければ、俺も可馨の様に策を巡らせて、欲しいものを欲のままに取りに行くことになんの疑問も抱かなかっただろう。
「似ているですって?」
怒りで声が震えている。
もう俺の声は、この人には届かない。
「出ていって! 使えない者に用はないわ」
一礼だけして出て行くほかに、出来ることは無かった。