仙女の花嫁修行
特に行くあてもなく。
あんまり強すぎる妖や怪は相手に出来ないし、ついこの間も死にかけたので山深い場所はまだ危険。とりあえず街中へ出ようかな。
「この丸薬で運べる町近くまで連れて行って」
手にしていた仙薬を金烏の口に投げ入れると、ごくんと飲み込んで一声鳴いた。
ヒラリと金烏が舞い降りたのは、桃源郷の出入口がある滝から二時よじかんほど飛んだ場所。
突き放し気味に修行に出されたのがちょっとショックだったけど、来たことの無い場所にワクワクしてきた。
下ろしてもらったのは町から少し離れた山の中。金烏に人が掴まって飛んでいたらみんなビックリだもんね。
町は上空から見えたので方角は覚えている。山道をテクテクと歩いていると早速、天敵に出会った。
「美味しそうな仙、みーつけた」
ベロンと口周りを舐めて木々の間から姿を見せたのは、頭にピンと三角形の耳を出した女。犬のような灰色の尻尾と、手が人の物ではなく肉球付きの前足だ。
まだ人型を取り切れない妖。
「狼の妖ね」
よく見ると、狼女が着ている服が所々黒ずんでいる。
あれは墨汁なんかじゃない。
「その服、どうしたの」
「ああこれ? なかなか良いでしょう。昨日新調したのよ」
「殺して、奪い取った?」
「もちろん美味しく頂いたよ。骨から血の一滴までね」
頭に一気に血が上る。
精気を縒り合わせて狼女のすぐ近くに火の玉を燃え上がらせた。気を取られているうちに反対側から素早く近付いて、長く変形させた剣で叩き斬る。
「ふぅ、強くなくてよかった」
昨日食べられてしまった人の遺体は、既にこの妖の腹の中。それならせめて、装飾品や服を家族の元に返してあげられないだろうか。もしかしたら帰ってこないと心配しながら待っているかもしれない。待つ時間と言うのは辛く長い。たとえ真実が残酷なものだろうと、御家族に弔って貰えるのならその方が良い。
ちょっと追い剥ぎっぽいけど、狼女から装飾品と服を剥ぎ取って遺体は燃やした。
更に歩いて進んで、町にようやく着いた時には閉門ギリギリ。狼女と戦ってからここへ辿り着くまでに、妖や怪に何度も出会っては倒してきたらこんな時間になってしまった。
この辺り、やたらと妖や怪が多いなぁ。
ここまで高頻度に出会ったことなんてない。
少々首を傾げつつ、でもお腹が空いたので露店で売っている花巻を買って齧る。ほんのりと甘い花巻の生地に、ペースト状の胡麻が塗られていて芳ばしい香りが口の中にひろがった。
二口目を口に入れようとしたところで、脇からものっすごい視線を感じる。
「えーと……食べる?」
物陰から貧相な少年が出てくるやいなや、持っていた残りの花巻が入った紙袋を掻っ攫うように取って走っていってしまった。
あんなに慌てなくてもちゃんとあげるのになぁ。
手元に残った食べかけの花巻を口に放り込んで立ち上がった。本当はもっと食べたいけれど、節約しないとね。修行の旅はまだまだ続く。
取り敢えずは、この遺品の持ち主と家族について聞き込みしてみようかな。露店のおじさんに話し掛けて調査開始。
「すみません」
「あいよ。何だい」
「昨日この近くの森で誰かが襲われたとか、もしくは帰ってこない女性がいるとか言う話を聞いていないですか」
「さぁー、そんな話しは聞いていないねぇ」
こんな調子で問答を繰り返しながらウロウロと通りを歩いていと、ドンッと誰かにぶつかった。
「いったぁ」
走り去っていく少年。
あの子、さっき花巻を持っていった子だ。
その手に握られているものを見るとお金を入れていた私の巾着が。
しまった。スられた!
「待ちなさーいっ!!!」
途中撒かれそうになりながらも少年の後を追いかけて着いたのは、河川敷に建てられたボロ小屋。
中から男の子と女の子が出てきて少年を迎え入れていた。
「コラコラ少年。人の物を盗んだらダメでしょ」
「あわぁぁぁ! つっ、付いてきてたのか!」
ぬうっと入口から顔を出して声をかけると、少年少女達が驚いて飛び上がった。
「あったり前でしょ。私結構足速いんだから」
「かっ、金なら返さねぇ! ぶっ殺してやる」
刃のかけた包丁を両手で握りしめてこちらに向けてきた少年の目は血走り、手が震えている。
後ろで怯えている子供たちの更に後ろには、誰かが横たわっているのが見えた。
「ちょっとこの人どうしたの? 具合悪そうじゃない」
子供たちを押し退けて奥へ進むと、藁の上には青白い顔をした女性が横たわっていた。精気が今にも潰えてしまいそうに弱く、目は落ちくぼんでいる。
「……母ちゃん、具合悪いんだ」
薬はおろか、食べ物も買えないって訳か。
「私いい薬持っているから。これ飲ませてみよう」
「母ちゃんに変なもん飲ませんな!」
「変なもんじゃないよ。ほら」
取り出した仙薬を口に入れて食べてみせた。
「ね? 大丈夫だから飲ませてあげよ」
納得した風の少年が母親の体を少し起こして、その口に薬と水とを含ませる。なんとか飲み込んでくれたので、明日の朝には少し良くなっているだろう。なんと言ってもただの薬じゃない。仙薬だもんね。
ついでに汚れた水を浄化する仙薬も渡してボロ小屋を後にした。
翌日。野宿をしてから聞きこみ調査を再開しようと思っていたのに。
通りを歩いていると次から次へと困っている人が現れる。
飾り紐をあげ、髪飾りをあげ、上掛けをあげ……。
段々あげるものが無くなってきた。
耳飾りは蟠桃会の時に颯懔が衣装と一緒にくれたもので大事にしていたけれど、これも結局あげてしまった。
颯懔ならきっと怒らない。分かってくれる。
無一文な上にいよいよ着ている服だけになってしまった。服屋で安価な服を買って着替えて、着ていた服は換金した。
ちょっとスースーして風通しのいい服だけど、なんと言っても私は道士。ちょっとやそっとじゃ死なない身体だもんね。多少寒くても凍え死んだりしない。弟子にしてくれた颯懔に改めて感謝だ。
聞きこみ調査を初めて一週間程が過ぎた頃、ようやく遺品の持ち主が見つかった。
御家族の元に戻せてあげて良かったと、町を後にして次の町へ向かうことにした。再び山中を歩いていると遠くで女性の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああっ!!」
男性が首元から血を流して倒れ、更に一人の女性が人の大人ほどある白毛の猿に抱えられている。
――玃猿か。
玃猿と言う怪に雌はいない。人間の女性を攫っては孕ませ子を産ませるという、なんとも卑猥で大迷惑な怪なのだ。
きっと男性は助からない。それならば攫われた女性を、と玃猿を追いかける。
追いかけた先には木や葉を積み重ねただけのような掘っ建て小屋。
あの中にはもしかしたら、何人もの攫われた女性がいるかもしれない。
臨戦態勢に入って小屋へと近付くと、四方から何匹もの玃猿が飛びかかってきた。火を放ち、剣で薙ぎ払い、更に逃げていく玃猿をツルで捕まえ。やっとのことで全て片付け終えて肩で息をしていると、「明明?」と声をかけられた。
「やっぱり。明明よね?」
「あ、確かあなたは……珠蘭シュランさん?」
三つ編み頭のこの人、確か蟠桃会の時に一緒に配膳係だった杏のお弟子さんだ。
「偶然だね。私も俗世に来てたんだ。……で、この怪はあなたが?」
「はい。あそこの小屋に多分、女性が捉えられていると思うんですけど」
ちょうどいい所に来てくれた。怪我と疲労と精気の使い過ぎで、体が上手く動かない。小屋を指さすと珠蘭が頷いて様子を見に行ってくれた。
近くにあった木にもたれかかって息を整えながら、掘っ建て小屋の様子をぼんやりと眺める。
「あぁぁぁ、仙女様。お助け頂きありがとうございました」
「あんなおぞましい猿の子を身篭るまで囚われ続けるのかと思っておりましたが……。この御恩は一生忘れません」
「珠蘭様と言いましたか。後世まで貴女様の名を伝えます。ありがとうございました」
3人も女性が捕まってたんだ。涙ながらに珠蘭の手をとって「ありがとうございます」と何度も礼を言っている。
「良かった、無事で」
安心したらどっと疲れが押し寄せてきた。そのままずるずると眠りの中へ引きずり込まれて意識を失った。
俗世に修行へ出されてから何ヶ月、いや何年経ったのか。
毎日のように出る妖や怪の相手をし、困っている人がいれば手を差し伸べ、どうにかどうにかやってはいるけれど……颯懔はまだ迎えに来てくれない。
迎えに来てくれないってことは、私はまだ仙籍に入れてないってことで。
「結構頑張ってるんだけどなぁ」
私は余程、仙に向いていないのかもしれない。
ちょっと気分が落ち込むけれど、くよくよしても仕方ない。
別に仙籍に入れなくったって人助けはできるもんね。
気分を入れ替えて、食べていた木通アケビの皮を捨てた。
持って来ていたお金も金目の物も旅の最初でなくなってしまった。山にはえる野草や木の実を細々と食べるだけでも生きていけるのだから、道士になって良かったとしみじみ思う。
次の町へと入り通りを歩いていると、すれ違った男から嫌な気配を感じた。仙に似た精気の気配と、澱んで濁った穢れの気配。
振り向きざまに仙術を繰り出し、尖った土を下から突き上げた。避けられる事も考慮して更に次の術を繰り出す。水たまりの水を矢のように細長く鋭くして男へ。
宙に舞い上がった男はクルンと回って、向かってきた水の矢を手で握り潰して相殺してしまった。
連続した術の切り替えは随分と早く出来るようになったけれど、まだまだ術の一つ一つが未熟で弱い。戦闘のさなかに泣き言なんて言ってられないので、次々と術を繰り出していく。
その間にも周りでは、街の人たちが悲鳴をあげて逃げていく。
残ってる人いないよね?
颯懔のように術が洗練されている人ならばコンパクトに技を繰り出せるのだけれど、私が同じ術を使っても大きく出てしまう。本当は被害を最小限に抑えたいけれど、なかやかそこまでの気は使えない。
互いに繰り出す仙術で舞い上がった土埃。
痛む目をシパシパとさせて、霧の力で舞い上がった土をしずめる。
町中で派手な術は使わない方がいいかも。
手に剣の柄を握って男の影へ。
霧を一気に取り払い、姿が見えた所で一突きに!
駆け出して、そして立ち止まった。
「なっ……」
妖の腕の中には女の子が一人。
「剣を捨てろ」
「その子を離して」
「もう一度言う。剣を捨てろ」
腕に力がこもったのか、女の子が苦しそうに口からヨダレを垂らして呻いた。
剣を捨てた瞬間に術を繰り出せば……。
剣の柄から手を離そうとした瞬間、男が口角を釣り上げた。
「良からん事を考えてるな」
思わずピクっと体を動かしてしまった。私の反応をみた男が、女の子を腕に抱いたまま近付いてきた。
「この餓鬼を助けたきゃ動くなよ」
「その言葉を信じるとでも?」
「信じるも何も、お前を喰えればこんな餓鬼になんぞ用はねぇ。仙を喰った方が余程精気を得られるからな」
「ここではやめてよね。みんなが怖がる」
「お優しい仙女様だ」
男は腰帯からぶら下げていた紐で私の両手首と両足首を縛り上げ、肩の上にのせると同時に女の子を放り投げた。
この紐、術封じの術がかけられている。
それもかなり強力な。
相手の術を封じる為には、自分が相手よりも相当に上位でなければ出来ないはずなのだけれど。なぜこの妖にそんな事が出来るのか。
そんなこと、今はどうでもいいか。
「余計な抵抗をする前に、まずはひと口」
男の顔が歪んで豹の顔に変わった。あんぐりと口を開けると中には鋭く尖った長い牙が、涎でテラテラと艶めかしく光っている。
あの女の子、自分のせいだと気に病まなければいいんだけど。
首元に近付いてくる口。かかる吐息。
全てがゆっくりとして見える。
最後にもう一度、颯懔に会いたかったなぁ。
でも死ぬ前に、好きだってちゃんと言っておいて良かった。
目を閉じると強烈な痛みと、呼吸が強制的に阻止された苦しさでいっぱいになった。
「うぁ゛っ……」
最後に聞こえたのは、自分の骨が噛み砕かれる音だけだった。