輝く樹木

第1章 第24話

 リビングルームのテレビの画面には、なでしこジャパンがサッカーワールド杯優勝で喜ぶ映像が映っていた。輝夫はその映像をしばらく見ていた。テレビの映像が別のニュースに変わると、膝の上に置いたスケッチブックを開いて色鉛筆を持った右手を動かし始めた。

「わたし、女子のサッカーがあることに驚いたわ」
「時代は変わったんだよ。女子の野球もあるんだよ」
「でも、すごいわ。ワールドカップでしょう。世界の頂点に立ったわけでしょう」
「僕はぜひ男子にも頑張ってほしいな」
「でも大変なんでしょう」
「ベスト16が最高かな。目標ベスト8だね。いつか見たいね」
「今年はいいニュースといったら女子のサッカーしかないわね。こんなに日本が大変な状況なのになぜ円高になるのかしら。76円25銭まで値上がりしたんでしょう」
「ある経済評論家がこの状況で円高になっている理由を3つあげていたよ。一つはここ10年ほど日本では低金利が続いていること。バブル崩壊後金利が下がり続け、ここ10年低金利が続いているんだ。一方アメリカ、ヨーロッパはリーマンショックが起こるまでは高金利だったんだ。金利のたかいところへお金が流れるよね。リーマンショックで金利を下げざるを得なくなったアメリカ、ヨーロッパはお金が出ていって、その結果お金の価値が下がった。でも、もともと金利の低かった日本はそうならなかった。2つ目は、リーマンショックで各国が行なったことは、金融緩和なんだ。つまり紙幣をたくさん刷ったんだ。商品が過剰になれば価値が減るよね。それと同じように紙幣が過剰に増えれば価値が下がる。でも日本が金融緩和を他国ほどやらなかった。アメリカは3倍、ヨーロッパのユーロは2倍増やしたとか。でも日本は1・3倍くらいだったみたいだよ。3つ目は円が安全資産と見られていることらしいんだ」
「でも日本は借金がすごいんでしょう。聞いた話では1000兆円とか。なぜそんな借金大国のお金が安全資産なの」
「それがその借金の多くがアメリカ、ヨーロッパと違って、その多くを国債という形でまかなっていて、その多くを国内で所有しているんだ。それに経常収支が黒字ということがある。消費税も他国に比べてまだ上げる余地がある。以上の3点を、ある経済評論家が言っていることなんだけど」
「それ以外にまだ理由があると言いたいようね」
「そう4つ目は僕が思っている理由なんだけど、これが本質的な理由だと思っているんだ。通貨が高くなるということは、その通貨の価値が高くなると言うことだよね。日本は原油などのエネルギー資源が乏しいけれど、人的資源があると思うんだ。アメリカももちろんエネルギー資源以外に人的資源があると言えるけど、アメリカの場合、特別な技術力をもった移民を多く受け入れてきたということもあるんだ。けれどアメリカの人的資源というのは特殊技術力をもった一部の人に恵まれているということなんだ。それは芸術、科学といった広範囲にわたる分野で優秀な人材をいままで受け入れてきたということがいえると思うんだ。確かに日本にも技術・芸術面での人的資源は豊富だといえる。でも日本が他国と違っているのは一般市民における人的資源の豊富さなんだ」
「学校現場についてならわたしでも言えるかも知れないわ。日本の学校の教師のやっていることは欧米の教師にとって驚異的に見えるみたいね。わたしが勤めていた時、同僚で欧米に視察に行った教師がいたけど、こんなことを言っていたわ。欧米諸国では授業などの学習指導だけをしていればいいという国が多い。でも日本の教師は授業以外に清掃指導から始まって、生活指導、服装指導、進路指導、部活動指導等々あらゆることで生徒と関わって休む暇もない。というようなことを言っていたわ。欧米諸国の多くが一クラス20人代で教えているところを、日本では40人の生徒を一度に教えている。これって日本の教師が優秀だってことでしょう。」
「そう、そういうことがあらゆる現場で言えるのが日本であると思うんだ。日本は治安がいいと言われるけどこれは民衆の質でしょう。それはどこの国でも一部に悪質な人がいるでしょう。日本も例外に漏れることはないでしょう。でもその割合が違うよね。だからこの人的な資源の質が日本の円の価値に大きく影響していると思うんだ」

 輝夫の脳裏に今鮮やかに映っているのは、先程までテレビの画面に映っていた女子サッカーチームの勝利に喜んでいる光景であった。スケッチブックの真っ白な画用紙を見つめていると、先程の映像が真っ白な画用紙に映し出されていた。輝夫の色鉛筆を持った右手が動いていた。時々色鉛筆のケースに手が伸びて、違う色の色鉛筆と交換しながら手が動いていた。やがてスケッチブックの画用紙に描き出されたのは、テレビの映像の鮮やかな光景を輝夫独特の手法が加えられた独特なものであった。書き終えるやいなや、体中が心地よい暖かさに包まれていった。瞼が心地よい暗闇に包まれていった。体が浮いていくのが感じられた。暗闇の中を時々黄色い線が横切っていった。
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