輝く樹木

第2章 第1話

「秀介はまだ部屋に閉じ籠もっているのか?」
帝南総合病院の医院長である斉川栄一郎は妻の真知恵の方を向いて言った。
「とてもショックだったんでしょう。朝食も食べないで朝からずっと部屋に閉じ籠もったきりだわ」
「受験したところが全部落ちてしまったんだからな。まあ立ち直るまでしばらく時間がかかるだろうな」
「部屋まで食事を持っていったほうがいいかしら?」
「いやそんなことする必要はないよ。一日くらい食べなくても死ぬことはないから。この機会に甘やかすようになってもしょうがないからな」
「公立の中学に行くことになったのでその準備をしなければならないわね」
「まあ3年間は授業料を納めなくすむからその点は安上がりでいいが、その代わり塾代がかかりそうだな。中高一貫のように前倒しで勉強していくことが出来ないからな。高校受験対策も大変だし、その受験準備のためのお金もかかりそうだな」

 しばらく私立中学の学校案内の冊子を見た後、秀介は両手でその冊子を握り潰してからゴミ箱に投げ入れた。秀介は午前中悔しくてずっと泣いていた。第一志望の中学は少し賭けの部分があったが幾分期待はあった。第二志望の中学はある程度自信があった。この2つの中学の不合格の結果を知らされた時、谷間に突き落とされたような気分でとてもつらい思いをした。しかし滑り止めの2つの中学は間違いなく合格していると思っていた。滑り止めであったが公立中学へ行くよりも遥かにましであると思っていた。滑り止めではあってもこの2つの中学のどちらかへ進学していれば父親が期待している医者になるレールから外れていないと思えた。滑り止めの2つの中学も不合格と知らされた時、真っ暗な暗闇の中でとてつもない深い底に突き落とされた気分であった。秀介の耳には父の言葉がいつまでも響いているのであった。
「秀介、今は辛いかも知れないがこれを乗り切ればほぼレールに乗ったようなもんだからな。父さんも、辛い中学受験を乗り切ってきて今があるんだから。レールに乗れなかった人生、始めからレールに乗る機会もない人生は惨めだよ。一生お金に苦労をしなくてはならない人生は大変だよ。今の日本に奴隷制度というものはないけど、実質は違う形であるんだよ。多くの大卒者が企業に就職するだろう。彼等は自分の時間を売って企業の奴隷になるんだよ。以前は奴隷であっても定年まで面倒をみてくれた。でも今は簡単に切られてしまうんだ。だから今を乗り切って父さんがしてきたように進んでくれれば安定した生活が約束されているんだ。父さんはお祖父ちゃんから引き継いだ病院で、安定した生活が保証されているんだ。安定した生活と企業サラリーマンに比べたら遥かに自由な生活が保証されているんだ」
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