輝く樹木
第3章 第10話
「もう自分の荷物は全部車に積んだかな?」
そう言うと真樹夫は家の玄関まで行って鍵を閉めた。萌子はステーションワゴンの助手席に、輝夫は後部座席の右側にすでに座っていた。真樹夫は運転席のドアを開けて乗り込むとすぐにドアを閉めた。車のエンジンをかけたあとすぐにカーナビの『自宅』のボタンを押した。カーナビのメニューのルート編集を押して任意のコースを選んだ。
「ここに来る時向かって左側の方向から来たよね。つまり東側の方向から来たんだけれど、向かって右側の方向つまり西の方向へ行こうと思うんだ。今カーナビで見たらさほど時間が変わらないみたいだから。この道路を西の方向へずっと行くと丁字になっていて国道にぶつかるんだ。その丁字を左に曲がってその国道を南の方へ進むとショッピングモールがあるんだ。そこでお昼を食べようかと思うんだけどどうかなあ?」
「レストランがいくつもあるからいいんじゃないかしら?」
「僕もショッピングモールで見たい店があるからいいと思うよ」
ステーションワゴンは三本の木の右側の木の前を通り過ぎようとしたが、真樹夫は三本の木が車の中からよく見えるところで停めた。
「家の敷地にこんな立派な木があったんだよな、これで見納めか」
「この三本の木、葉の濃い緑色と幹の焦げ茶色がとても美しいわ!」
「この木の名前は何ていうんだろうな? 家に帰ってから調べてみたいね。見たことない種類の木だね。でもじっくり見ていると本当に美しい木だね」
「わたしは濃い緑色とか焦げ茶色と言ったけど、この木を見てない人に今見ている木の美しい色は絶対に伝えられないわ」
輝夫は真樹夫と萌子が三本の木のことについて話している時、三本の木の幹におとといの夜までみられた光る点のことについて、話そうかという衝動に一瞬駆られたが、やめようと思った。それには理由があった。一つにはまず両親は信じてくれないだろう。2つ目の理由として、3本の木の発する光にとても大切なものを与えられていて、それを一瞬のうちに失ってしまうような気がした。その大切なものとは、輝夫は今いる世界とは別の世界にいるはずなのに、三本の木の光のお陰で今いる世界にいられる。別の世界の記憶は輝夫にはないが、体全体にその感覚がリアルに残っていた。それはとても辛いものに思えた。そして昨夜その三本の木から発せられる光を見なくなってからその感覚のリアルさがなくなった。そして今この二週間滞在した家から離れようとする瞬間、その感覚が可成り薄れたものになってきていた。
輝夫は三本の木をじっと見つめた。確かにこの三本の木の葉の濃い緑色と幹の焦げ茶色には、言葉では言い表すことのできない美しさがあると感じた。生まれて初めて木の葉の色の美しさと木の幹の色の美しさに感動した気がした。
真樹夫は車のアクセルを軽く踏んだ。車は右折してフロントガラスを西の方に向けた。輝夫は車窓越しに三本の木をじっと見つめていた。ステーションワゴンは道路に沿って西に向かって走っていった。三本の木は車がスピードを速めて進むに従って、段々と小さくなっていった。輝夫たちが滞在していた大きな家も少しずつ小さくなっていった。やがて三本の木は細い線となっていった。道路の両側が林に挟まれてきた。純白の太陽の光に照らされていた道路は、林によって作り出された暗闇に部分的に覆われた。純白の光と暗闇が交錯する道路に純白と薄黒色からなる模様が映し出されて、ステーションワゴンが進むのに合わせて踊るかのようにリズムカルに動いていた。
林に挟まれた道路を出ると同時に、道路は全体を太陽の純白の光に照らされた。道路が続く先に信号機が見えた。信号機の青が点灯していた。ステーションワゴンが信号機に50メートル位近づくと信号機の青は消灯して、黄が点灯してすぐに消灯して赤が点灯した。ステーションワゴンは停止線前で停まった。丁字路で停まったステーションワゴンの前方はガードレールが敷かれており、その先には草原が広がっていた。ステーションワゴンが左折すると四車線の国道が南北に延びていた。ステーションワゴンは片側二車線の左側を南方向に向かって走っていった。草原であった両側にしばらくすると建物らしき小さい影が現れて少しずつ大きくなってきた。最初点在していた住宅が、ステーションワゴンが進むに連れて、住宅と住宅の間の間隔が短くなってきた。やがて左側にショッピングモールの巨大な建物と大駐車場が現れてきた。
「外食なんて久しぶりだったわ」
「そうだね、この二週間はモニター上の約束で外出できなかったからね。でもこのモニターには一日三食の宅配サービスが付いているのには驚いたな」
「お陰ですごく楽できたわ。もう無理だろうけど、またこのようなモニターを募集していたら、また応募したいわね。これはまるで長期のバケーションだわ」
「輝夫は食べ終わったら書店を見てくると言っていたけど、大きな書店があるのかな?」
「トイレに行く時に書店の前を通ったけど可成り大きな書店だったわ。あーそういえば書店の前にこんなチラシがあったから持ってきたわ」
「中学校の芸術祭の案内か。校長の写真と挨拶文も載ってるね」
「あなたどうしたの?驚いた顔をして」
「この女性の校長の写真初めて見たんだけど・・・何かそんな感じがしないんだよね。会っていることなんか絶対ありえないんだけど・・・どこかで会って大事なことを話したような・・・それも輝夫に関することを。でもそんなことどう考えてもありえないことだな。それからこの中学の校舎の写真も載っているけど、独特のデザインの校舎だから、そんなにそこら中に見られるような校舎ではないんだけど・・・実際そこに行ったことがあるような感覚が体の中に残っているような感じがするんだよな」
「この二週間のモニター期間は別荘で長期休暇をすごしたようで贅沢で楽しかったけど・・・今あなたが言ったようなことわたしの中にもあって、それが不思議というか、ちょっと残念に思えることなんだけど、あの家で最後の頃体に残っていたあの感覚が時間と共に薄れていくということが分かったから、あなたがいま感じたこともどんどん薄れていくわよ」
「人間ってあまりにも異常な環境に置かれると過度のストレスで心身に何らかの変調をきすでしょう。それと同じように人間ってあまりにも快適な環境にどっぷりと使ってしまうと、何か体の感覚が普通でない状態になるのかね」
「もしそうだとしたら、これから家に戻って通常の生活に戻ればそのような感覚はまったくなくなってしまうのかしら」
「実際昨日の感覚が薄れてきているんだから。時間が経てば綺麗サッパリなくなるよ」
「通常の生活といえば、輝夫が学校へ行くのは二週間ぶりになるんだわ。二週間授業に出ていなかった内容取り戻せるかしら?」
「輝夫なら大丈夫だろう。教科書を読むだけで理解できる子だから。メールでクラスの子と連絡をとって進度を確認していたようだから。まあこのモニターに当選したのは輝夫のお陰であるところも少なくないだろうから」
「あ、そういえば輝夫のクラスに古澤俊治君という男子生徒がいるんですけど」
「あーあの都議会議員の子か」
「その子の母親から昨日わたしの携帯に電話があったの。悩みを聞いてほしいような電話で。最近、俊治君が学校に全く行かなくなって、自分の部屋の中に引きこもっているみたいなの。自分の部屋の中に一日中引きこもって、パソコンでネットゲームをしているみたいなの。その子のお母さんは泣きながら話していたわ」
「古澤君という名を耳にすると頭では都議会議員というイメージしかないんだけど・・・体中には今とてもリアルな感覚があるのだけど」
「わたしは昨日、古澤君のお母さんがずっと泣きながら話しているのを聞いていたものだから、その時は気が付かなかったのかも知れない。でも今はわたしも体中にとてもリアルな感覚があるのを感じるわ。輝夫が古澤君にいじめられているような・・・そのような感覚がとてもリアルに体の中にある。でもそんなことは影も形もないし、まったく聞いたこともないし。古澤君って、不登校になって引きこもるような子なのね。でもわたしの体の中には、古澤君がいじめっ子のリーダーでとても悪賢いというリアルな感覚があるのよ」
「でも実際はいじめっ子のリーダーどころか引きこもりで不登校なんだからね。折角、リアルな感覚を綺麗サッパリなくしていけると思ったら、輝夫と同じクラスの子の名前を聞いただけで同じようなリアルな感覚に再びお目にかかってしまうとは。このリアルな感覚とは切っても離せないような何か厄介なことがあるのかね」
「あなた前に言っていたじゃない。2つの世界があるって」
「あーそんな難しい話しをしたことがあったね。どうしても時間に関係しているようなことを話すと哲学的になってしまうのかね。タイムスリップとかタイムトラベルの話が好きな人は多いでしょう。それって自分の過去を変えたいと思っている人が世の中多くて、もし過去に戻れたら過去の自分を変えて現在の自分をもっとよくできると思うからだよね。それでタイムスリップやタイムトラベルに関する本を、見つけたりすると買って読んだりする。そういう傾倒の本を読むと、大抵アインシュタインの相対性理論がでてくる。そこで例に出されるのが、光速に近い乗り物に乗るとその中での時間の経過が遅くなるというような話しだよね。でもこれって過去にタイムトラベルしたり、タイムスリップするという話ではなくて、単に他の人よりも年をとるのが遅くなるという話だよね。『猿の惑星』という映画の中で起こった話だよね。あとタイムパラドクスの話があるよね。過去に戻って現在夫婦である男女を物理的に会うことが出来ないようにしてしまう。そうすると現在存在しているその夫婦の子供はどうなるかという矛盾がでてくるという話だよね。そこで出てくるのがパラレルワールドという考え方なんだけど。なにか物理学の世界でも研究対象になっているみたいなんだけど。つまり2つの世界が存在するという考えで、よくSFの話で使われているみたいなんだけど」
「わたしたちが感じるリアルな感覚がもう一つ別に存在する世界に属するものじゃないか、ということでしょう」
「そういうふうに考えてしまうんだけど。でも二週間のあまりにも快適な生活にどっぷりつかったことから来る反動みたいなものだと思いたいよ」
「そうじゃないと困るけど。パラレルワールドというのもが本当に存在して、わたしたちがそれに関わっていたと考えたら末恐ろしくなるわ」
「パラレルワールドが物理学の対象になっているみたいだけど、それはあくまでも理論上だけの話で、そしてその理論も何ら検証されているわけではないんだから。それにたとえ2つの世界が存在したとしても、その2つの世界の間に接点というものが全く無いということが前提としての理論だからね。もし仮にだよ、2つの世界が存在したとして、ある何かが関係して接点ができて、僕たちが関わったとしたら、2つの世界に少なからずの影響を与える可能性は充分にあるわけでしょう。そういうことを考えると本当に大変なことになってしまうと思うよ」
「それだからあなたが言うように、あまりにも快適な生活に二週間どっぷりとつかっていたから、そのことがわたしたちの感覚に何か影響を与えたと思うことが一番いいのね」
「人間の心理とか内面の状態というのは、指をちょっと怪我したというのと違って体全体に影響を与えるものだからね。体の中に残っているリアルな感覚はある意味で肉体的な変調にも思えるでしょう。置かれた環境があまりにも快適すぎるという状況でも別の意味でのストレス上の問題にも考えられるのかも知れない。だって全くストレスがない状態というのもあまり体によくないと言われているし。人間には適度なストレスが必要であるということが言われているわけだし」
「そうするとわたしたちは二週間全くストレスのない状態にいたから、あのリアルな感覚が体の中に残っているということなの?」
「そう、二週間まったくストレスのない状況にいたから、僕たちはあのリアルな感覚に悩まされた。本当にそう思わないと」
輝夫はショッピングモール内にある書店の、植物コーナーで樹木に関する本や図鑑全部に目を通していた。輝夫が二週間滞在した家の庭にあった3本の木と同じであると思えるような木の写真は、樹木に関する本と図鑑の写真を全部見たが見当たらなかった。昨日はインターネットで長時間かけて探したが似たような木の写真を見つけることは出来なかった。今日二週間滞在した家を出発する時、車の窓から輝夫はじっと三本の木を見つめていた。純白の太陽の光を浴びて、木の葉は微妙に違う様々な緑色の光を反射させていた。木の幹は純白の光を浴びて様々な茶色の光を反射させていた。今までに見た木で一番美しい木であると思った。両親は記憶にはないが何か別の世界で経験したようなリアルな感覚が体中に残っていると言った。輝夫は自分もそのようなリアルな感覚があると言ったとき、父親がそれは自分たちがあまりにも快適なストレスのない環境に二週間いたから、そのための心理的なものだと言った。輝夫はそのことが心理的なこととは思えなかった。三本の木に関係していることに思えた。輝夫はあの家に滞在中に最後の夜を除いて毎夜三本の木から発せられた光を見てきた。三本の木の発する光を見た後の数秒間の記憶の喪失だけは確かな事実だと確信できた。しかし不思議に感じるのはその数秒間がとても長く感じ、どこか別のところにいたというリアルな感覚が体中に残っていることであった。両親にその光のことを話そうとしたが、両親が感じているリアルな感覚があまりにも強烈であることを感じ取ることができたので、話さないほうがいいだろうと輝夫は判断した。
日曜日の午後ということもあってか、ショッピングモールの駐車場はほとんどスペースが車で埋まっていた。雲が点在している空には、夥しい数の青色の輝きがあった。その中で直視できない眩しさで太陽が輝いていた。純白の太陽は純白の光を駐車場の車に浴びせていた。駐車場にある車は純白の太陽の光を浴びて様々な色の光を反射させていた。赤い車は赤い光を、銀色の車は銀色の光を、黒い車は黒い光を、青い車は青い光を、緑の車は緑の光を反射させていた。白い車は純白の光を浴びて純白の光を反射させていた。純白の光は上空を飛び交い純白の粒となった。純白の光の粒は互いにぶつかり合って様々な色に変化していった。車から放たれた赤と銀と黒と青と緑の光は光の粒となって飛び交っていき、夥しい色の光の粒に吸収されていった。
駐車場の道路沿いには無数の街路樹が植えてあった。無数の街路樹は太陽の純白の光を浴びていた。街路樹の木の葉は濃い緑色の光を反射させていた。街路樹の木の幹は焦げ茶色の光を反射させていた。
車を乗り降りする人々。車から降りてショッピングモールへ向かう人々。太陽の純白の光は人々が身につけている衣服に降り注がれていた。夥しい色の衣服は夥しい色の光を反射させていた。
夥しい色の光の粒が駐車場の上空を飛び交っていた。光の粒は互いにぶつかり合いながらその色の数を増して行った。駐車場の上空に少しずつ幻想的な模様が現れ始めてきた。その幻想的な模様は少しずつ動きながら様々な色に変化していった。
ステーションワゴンの後部座席の右側に座り、輝夫は飛び交う眩しい光を見ながら二週間の間自分の部屋の中で見た光の模様を思い出した。あの体中に残っていると感じたリアルな感覚は、部屋の中で見た光が編み出す幻想的な模様と連動していた。しかし今駐車場で幻想的な光の模様を見ている。あの薄らいでいったリアルな感覚が体中を走っているような感じがする。それはたぶん両親が古澤俊治のことを話題にしたことと関係しているのかも知れない。古澤俊治は自分の部屋にひきこもり、不登校になっている。俊治の現実の状況が、輝夫の体中に感じられるリアルな感覚の持つイメージと、あまりにもかけ離れているのである。
萌子は助手席に座って食料品店で買った食品のレシートを見て確認していた。運転席のドアが開く音がした。真樹夫が書類入れ用のハードケースを持って車の運転席に座った。運転席側の閉まる音がした。ハードケースを輝夫の方へ差し出しながら真樹夫が言った。
「輝夫、これ隣の座席に置いてくれない?」
「分かった」
真樹夫はエンジンをかけるとカーナビのメニューボタンを押してからルート編集のボタンを押した。
「そうだな、この国道をもどらないでこのまま南に向かって行ったほうが近いね。そうすると・・・家に着くのは間違いなく7時過ぎになってしまうね」
「それじゃ夕飯も外食で途中のファミレスかしら」
「まあ、この二週間モニターのお陰で随分節約できたから今日ぐらいいいか」
「そうだ、いま輝夫の隣の席に置いてもらったハードケース開けてみて。いま車の後ろの荷物席から持ってきたんだけど。輝夫が中1の時写生会で描いた絵だけど素晴らしい絵を描いたんだね。全国で入賞してその時の賞状も一緒にあるから。どうしてあのダンボール箱に入っていたんだろう。こんな大事な絵、輝夫の部屋に置いといて。でも不思議なんだよな。全国での入賞だよ。あまり記憶にないんだよな」
輝夫はハードケースを開けて絵を取り出した。写生会で描いた山を背景にした草原の絵である。しかし輝夫はその絵を見てあまりにも奇妙なことに気がついた。輝夫が間違いなく描いた覚えがないものが描かれてあった。輝夫が滞在した家の庭の道路沿いに立っていた三本の木である。そしてそれがあまりにも見事に描かれていた。輝夫が描いた山と草原など遥かに及ばない素晴らしい絵であった。その三本の絵をしばらく輝夫は見ていた。中央の木の幹に茶色の光る点が現れてきた。その光る点は段々大きくなり光る茶色の円となって絵全体を覆う大きさになった。その円をしばらく見ていると冥王星が浮き出て現れてきた。しばらくするとその光る円は浮き出ていた映像とともに消えてしまった。左側の木の幹に肌色の光る点が現れた。その点は段々と大きくなり絵全体を覆う円になっていった。その円をしばらく見ていると東京タワーとスカイツリーの映像が浮き出てきた。しばらくするとその光る円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に橙色に光る点が現れた。その橙色に光る点は段々大きくなり絵全体を覆う円になった。その円をしばらく見ているとオバマ大統領の演説の映像が現れた。しばらくするとその光る円は映像と共に消えてしまった。中央の幹に赤く光る点が現れた。その点は段々と大きくなり絵を覆う円となった。その円をしばらく見ているとマイケル・ジャクソンの映像が浮き出てきた。しばらくするとその赤く光る円は映像と共に消えてしまった。左側の木の幹にピンク色に光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円となった。その円をしばらく見ていると『はやぶさ』と『イトカワ』の映像が浮き出てきた。しばらくするとピンク色に輝いていた円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に黄色の光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなっていった。その円をしばらく見ていると、なでしこジャパンの優勝の映像が浮き出てきた。やがて黄色に光る円は映像とともに消えてしまった。中央の木の幹に黄緑色に光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ていると山中伸弥京都大教授のノーベル医学生理学賞受賞の映像が浮き出てきた。しばらくすると黄緑色に光る円は映像と共に消えてしまった。左側の木の幹に緑色に光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ていると算数の教科書の映像が浮き出ていた。しばらくすると緑色に光る円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に青く光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとノーベル物理学賞授賞式の映像が浮き出てきた。しばらくすると青く光る円は映像と共に消えてしまった。中央の木の幹に紫色の光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとCOP21パリ協定の映像が現れた。しばらくすると紫色に光る円は映像と共に消えてしまった。左側の木の幹に水色の光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとオバマ大統領の被爆地広島訪問の映像が浮き出てきた。しばらくすると、輝く水色の円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に純白に光る点が現れた。その映像は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとICANノーベル平和賞受賞の映像が浮き出てきた。しばらくすると純白に光る円は映像と共に消えてしまった。
ショッピングモールの駐車場を出て左折すると、ステーションワゴンは国道を南へ向かって進んでいった。道路両側にはしばらくの間住宅が間隔を置いて現れていたが、車が進むに連れてその間隔は狭まり、やがて家々が密集した住宅地が道路の両側に現れた。しばらく住宅街の中を通る国道を走っていくと突然道路の右側から住宅が消え学校の塀らしきものが遠くからでも見え始めてきた。国道の右側に見える学校の塀は段々と大きくなり塀越しに学校の校舎が姿を現してきた。
「右側に見えてきた建物は中学校だよね」
「そう思うけど随分斬新なデザインの校舎だわね」
「もしかしてショッピングモールに置いてあったチラシの中学校かな?」
「ちょっと待って、あのチラシ出してみるから。あーそうみたいだわ」
「ちょっとあの中学の校舎の近くまで行って写真を撮りたいんだけど・・ちょっと寄ってもいいかな?」
「わたしは別に構わないわ。輝夫はどお?」
「僕も別にいいよ。僕もスマホで写真を撮ってみるかな」
中学校の校舎前は十字路になっていた。青が点灯していた十字路の信号はステーションワゴンが右折車線に移った後青が消えて、黄が点灯してすぐに消えて、赤の点灯と同時に右折信号が点灯した。ステーションワゴンは十字路を右折すると東西に延びる市道に入っていった。二車線の市道は校舎の北側に敷かれた塀に沿って延びていた。塀は前方に見える十字路のところまで延びていた。車は裏門の前まで来た。
「ここは裏門か。国道から見えていたのは校舎の後ろ側だったんだな。今ほとんど車が走っていないから脇に車を寄せて車の中から数枚撮って行くか」
ステーションワゴンは十字路まで進んで行った。十字路の信号は青が点灯していた。左折すると二車線の県道が南北に伸びていた。県道はしばらく校舎の塀の西側に延びていた。
信号の青が点灯している十字路を左折した。市道が校舎の塀の南側に沿って延びていた。閉じられた正門の前には車一台分のスペースがあって、ステーションワゴンはその場所に停車した。
「今日は日曜日で授業がないんだね。それに午後で部活もやってないんだね。だれもいないようだね」
「だれもいなくて静かな学校っていうのもいいわね」
校舎は一般的な学校の校舎のように角ばったものではなかった。全体が丸みを帯びた設計で作られていた。幾分西に傾いてきた太陽は青空に所々浮かんでいる雲の間を縫うように純白の光を現したり隠したりしていた。純白の太陽の光を浴びると丸みを帯びた校舎は四方八方へと純白の光の粒を撒き散らした。純白の光の粒は上空を飛び交ってぶつかりあっていた。純白の光は夥しい数の色へ変化していった。夥しい数の色の粒は幻想的な模様を編み出していた。幻想的な模様が一瞬の間消えたかと思うと、茶色の光が一瞬煌めいた。その時一瞬輝夫の脳裏を1歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、肌色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を2歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、橙色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を3歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、赤色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を4歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、ピンク色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を5歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、黄色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を6歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、黄緑色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を7歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、緑色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を8歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、青色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を9歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、紫色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を10歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、水色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を11歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、白色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を12歳の時の記憶がよぎった。
中学校の校舎を後にしてステーションワゴンは、校舎の塀の南側に沿って延びる市道を十字路まで進み、信号の青が点灯している十字路を右折して国道を南に向かって進んだ。
「何か不思議なんだけど、あの校舎の写真を撮ったあと体中に残っていたあのリアルな感覚が全く消えてしまったんだ。体中に今まで溜まっていた疲労が全く消えてしまったような不思議な気分なんだけど」
「わたしもあの校舎をみたあと、あの体中に残っていたリアルな感覚が完全に消えてしまった気がするわ。不思議ね」
輝夫はショッピングモールの駐車場でも中学校の校舎でも、あの二週間の間自分の部屋で見た幻想的な模様を見た。自分の部屋で見たときには自分一人だけであったので確認できなかったが、ショッピングモールの駐車場と中学校の校舎の場合は両親もいる。ショッピングモールで両親は輝夫が見た幻想的な模様を見なかった。そして中学校の校舎で輝夫が幻想的な模様を見た時、両親が見ていたものは校舎の風景だけであった。輝夫は自分が何か幻覚のようなものを見ているのではないかと思った。どこか精神的に異常をきたしているところがあるのではないかと思った。駐車場では車の中で、父に自分が中学校の写生会の時に描いた絵を渡されてその絵を見た。驚くべきことにその絵の中に自分が描いていないはずの3本の木の絵が描かれてあった。その三本の木はあまりにも完璧な絵であった。輝夫が描いた絵とは全くの異質のものであり、とても人間の能力では描くことが出来ないのではないかと思えるほど次元の違うものに思えた。その三本の木の幹から光が現れた。それはあの二週間の間、最後の夜を除いて毎夜見えた光と同じものであった。毎夜違った色の光が輝いていた。中学校の校舎で幻想的な模様を見た時、幻想的な模様が定期的に消えてその瞬間三本の木が放ったと同じだけの数の色が煌めいた。そしてその度小さい時からの記憶が脳裏をよぎった。そしてそれは輝夫が描いた絵に描かれていたあの三本の木の幹に輝いていた光と連動していた。しかし車が走り出し中学校の校舎から離れていくに従って、あの体中に残っていたリアルな感覚が少しずつ薄れていくのが感じられた。ステーションワゴンが南に向かって進むにつれて中学校の校舎は段々と小さくなっていった。小さな丸みを帯びた箱となり、やがて点になった。体中にあったリアルな感覚が全くなくなってしまったのを輝夫は感じた。
輝夫はハードケースを再び開けて、中1の写生会の時に描いた絵を取り出した。絵を見た瞬間輝夫は驚きの感情と共に安堵の感情を感じた。輝夫が描いた絵に描かれてあったあの三本の木はもう消えてなくなっていた。
「輝夫は寝ちゃったのかな?」
「ええぐっすりと寝てるわ。寝息が聞こえるわ」
「ショッピングモールの駐車場と、中学校の校舎で見た幻想的な光の模様は、輝夫には見えなかったようだな」
「そうね、わたしたちは同じものを見ていて自分だけ見ているんじゃないということが分かったから、お互いにどうにか幻覚を見ているんじゃないと確認できたけど。輝夫が見ていたら自分だけが見ていて、もしかしたら幻覚を見ているんじゃないかと思って不安になっただろうから」
「本当はわたしたちが見たことを輝夫に話そうかと思ったけど。輝夫が見ていないんだったら私たちが幻覚を見ているんじゃないかと思って、心配するんじゃないかと思って言わなかったけど。どうやら見ていないようだったから良かったわ」
「しかしあの家で最後の夜を除いて毎夜見たあの三本の木の幹から見えた光は何だったんだろうね」
「毎夜違う色が輝いて不思議だったわ」
「数秒間の間だったけどとても長い時間どこかにいたような不思議な感覚が体に残っていて」
「今はもう全く消えてしまったけど、わたしたちの体の中に残っていたあのリアルな感覚と関係があるのでしょうね」
「僕もそう思うんだけど」
ステーションワゴンは国道の左側車線の左側を南方向に向かって走っていた。眩しい太陽が西の方からステーションワゴンに純白の光を降り注いでいた。ステーションワゴンのパールホワイトの車体は、眩しい太陽の光を浴びて純白の光を反射させていた。純白の光は国道の上空を飛び交っていた。上空を飛び交う純白の光は光の粒となってお互いにぶつかり合って、星の数ほどにも思える色に変化していった。星の数ほどにも思える夥しい数の色からなる光の粒は、幻想的な模様を編み出していった。幻想的な模様はステーションワゴンのちょうど真上で輝いていて、ステーションワゴンと同じ速さで同じ方向に進んでいった。
そう言うと真樹夫は家の玄関まで行って鍵を閉めた。萌子はステーションワゴンの助手席に、輝夫は後部座席の右側にすでに座っていた。真樹夫は運転席のドアを開けて乗り込むとすぐにドアを閉めた。車のエンジンをかけたあとすぐにカーナビの『自宅』のボタンを押した。カーナビのメニューのルート編集を押して任意のコースを選んだ。
「ここに来る時向かって左側の方向から来たよね。つまり東側の方向から来たんだけれど、向かって右側の方向つまり西の方向へ行こうと思うんだ。今カーナビで見たらさほど時間が変わらないみたいだから。この道路を西の方向へずっと行くと丁字になっていて国道にぶつかるんだ。その丁字を左に曲がってその国道を南の方へ進むとショッピングモールがあるんだ。そこでお昼を食べようかと思うんだけどどうかなあ?」
「レストランがいくつもあるからいいんじゃないかしら?」
「僕もショッピングモールで見たい店があるからいいと思うよ」
ステーションワゴンは三本の木の右側の木の前を通り過ぎようとしたが、真樹夫は三本の木が車の中からよく見えるところで停めた。
「家の敷地にこんな立派な木があったんだよな、これで見納めか」
「この三本の木、葉の濃い緑色と幹の焦げ茶色がとても美しいわ!」
「この木の名前は何ていうんだろうな? 家に帰ってから調べてみたいね。見たことない種類の木だね。でもじっくり見ていると本当に美しい木だね」
「わたしは濃い緑色とか焦げ茶色と言ったけど、この木を見てない人に今見ている木の美しい色は絶対に伝えられないわ」
輝夫は真樹夫と萌子が三本の木のことについて話している時、三本の木の幹におとといの夜までみられた光る点のことについて、話そうかという衝動に一瞬駆られたが、やめようと思った。それには理由があった。一つにはまず両親は信じてくれないだろう。2つ目の理由として、3本の木の発する光にとても大切なものを与えられていて、それを一瞬のうちに失ってしまうような気がした。その大切なものとは、輝夫は今いる世界とは別の世界にいるはずなのに、三本の木の光のお陰で今いる世界にいられる。別の世界の記憶は輝夫にはないが、体全体にその感覚がリアルに残っていた。それはとても辛いものに思えた。そして昨夜その三本の木から発せられる光を見なくなってからその感覚のリアルさがなくなった。そして今この二週間滞在した家から離れようとする瞬間、その感覚が可成り薄れたものになってきていた。
輝夫は三本の木をじっと見つめた。確かにこの三本の木の葉の濃い緑色と幹の焦げ茶色には、言葉では言い表すことのできない美しさがあると感じた。生まれて初めて木の葉の色の美しさと木の幹の色の美しさに感動した気がした。
真樹夫は車のアクセルを軽く踏んだ。車は右折してフロントガラスを西の方に向けた。輝夫は車窓越しに三本の木をじっと見つめていた。ステーションワゴンは道路に沿って西に向かって走っていった。三本の木は車がスピードを速めて進むに従って、段々と小さくなっていった。輝夫たちが滞在していた大きな家も少しずつ小さくなっていった。やがて三本の木は細い線となっていった。道路の両側が林に挟まれてきた。純白の太陽の光に照らされていた道路は、林によって作り出された暗闇に部分的に覆われた。純白の光と暗闇が交錯する道路に純白と薄黒色からなる模様が映し出されて、ステーションワゴンが進むのに合わせて踊るかのようにリズムカルに動いていた。
林に挟まれた道路を出ると同時に、道路は全体を太陽の純白の光に照らされた。道路が続く先に信号機が見えた。信号機の青が点灯していた。ステーションワゴンが信号機に50メートル位近づくと信号機の青は消灯して、黄が点灯してすぐに消灯して赤が点灯した。ステーションワゴンは停止線前で停まった。丁字路で停まったステーションワゴンの前方はガードレールが敷かれており、その先には草原が広がっていた。ステーションワゴンが左折すると四車線の国道が南北に延びていた。ステーションワゴンは片側二車線の左側を南方向に向かって走っていった。草原であった両側にしばらくすると建物らしき小さい影が現れて少しずつ大きくなってきた。最初点在していた住宅が、ステーションワゴンが進むに連れて、住宅と住宅の間の間隔が短くなってきた。やがて左側にショッピングモールの巨大な建物と大駐車場が現れてきた。
「外食なんて久しぶりだったわ」
「そうだね、この二週間はモニター上の約束で外出できなかったからね。でもこのモニターには一日三食の宅配サービスが付いているのには驚いたな」
「お陰ですごく楽できたわ。もう無理だろうけど、またこのようなモニターを募集していたら、また応募したいわね。これはまるで長期のバケーションだわ」
「輝夫は食べ終わったら書店を見てくると言っていたけど、大きな書店があるのかな?」
「トイレに行く時に書店の前を通ったけど可成り大きな書店だったわ。あーそういえば書店の前にこんなチラシがあったから持ってきたわ」
「中学校の芸術祭の案内か。校長の写真と挨拶文も載ってるね」
「あなたどうしたの?驚いた顔をして」
「この女性の校長の写真初めて見たんだけど・・・何かそんな感じがしないんだよね。会っていることなんか絶対ありえないんだけど・・・どこかで会って大事なことを話したような・・・それも輝夫に関することを。でもそんなことどう考えてもありえないことだな。それからこの中学の校舎の写真も載っているけど、独特のデザインの校舎だから、そんなにそこら中に見られるような校舎ではないんだけど・・・実際そこに行ったことがあるような感覚が体の中に残っているような感じがするんだよな」
「この二週間のモニター期間は別荘で長期休暇をすごしたようで贅沢で楽しかったけど・・・今あなたが言ったようなことわたしの中にもあって、それが不思議というか、ちょっと残念に思えることなんだけど、あの家で最後の頃体に残っていたあの感覚が時間と共に薄れていくということが分かったから、あなたがいま感じたこともどんどん薄れていくわよ」
「人間ってあまりにも異常な環境に置かれると過度のストレスで心身に何らかの変調をきすでしょう。それと同じように人間ってあまりにも快適な環境にどっぷりと使ってしまうと、何か体の感覚が普通でない状態になるのかね」
「もしそうだとしたら、これから家に戻って通常の生活に戻ればそのような感覚はまったくなくなってしまうのかしら」
「実際昨日の感覚が薄れてきているんだから。時間が経てば綺麗サッパリなくなるよ」
「通常の生活といえば、輝夫が学校へ行くのは二週間ぶりになるんだわ。二週間授業に出ていなかった内容取り戻せるかしら?」
「輝夫なら大丈夫だろう。教科書を読むだけで理解できる子だから。メールでクラスの子と連絡をとって進度を確認していたようだから。まあこのモニターに当選したのは輝夫のお陰であるところも少なくないだろうから」
「あ、そういえば輝夫のクラスに古澤俊治君という男子生徒がいるんですけど」
「あーあの都議会議員の子か」
「その子の母親から昨日わたしの携帯に電話があったの。悩みを聞いてほしいような電話で。最近、俊治君が学校に全く行かなくなって、自分の部屋の中に引きこもっているみたいなの。自分の部屋の中に一日中引きこもって、パソコンでネットゲームをしているみたいなの。その子のお母さんは泣きながら話していたわ」
「古澤君という名を耳にすると頭では都議会議員というイメージしかないんだけど・・・体中には今とてもリアルな感覚があるのだけど」
「わたしは昨日、古澤君のお母さんがずっと泣きながら話しているのを聞いていたものだから、その時は気が付かなかったのかも知れない。でも今はわたしも体中にとてもリアルな感覚があるのを感じるわ。輝夫が古澤君にいじめられているような・・・そのような感覚がとてもリアルに体の中にある。でもそんなことは影も形もないし、まったく聞いたこともないし。古澤君って、不登校になって引きこもるような子なのね。でもわたしの体の中には、古澤君がいじめっ子のリーダーでとても悪賢いというリアルな感覚があるのよ」
「でも実際はいじめっ子のリーダーどころか引きこもりで不登校なんだからね。折角、リアルな感覚を綺麗サッパリなくしていけると思ったら、輝夫と同じクラスの子の名前を聞いただけで同じようなリアルな感覚に再びお目にかかってしまうとは。このリアルな感覚とは切っても離せないような何か厄介なことがあるのかね」
「あなた前に言っていたじゃない。2つの世界があるって」
「あーそんな難しい話しをしたことがあったね。どうしても時間に関係しているようなことを話すと哲学的になってしまうのかね。タイムスリップとかタイムトラベルの話が好きな人は多いでしょう。それって自分の過去を変えたいと思っている人が世の中多くて、もし過去に戻れたら過去の自分を変えて現在の自分をもっとよくできると思うからだよね。それでタイムスリップやタイムトラベルに関する本を、見つけたりすると買って読んだりする。そういう傾倒の本を読むと、大抵アインシュタインの相対性理論がでてくる。そこで例に出されるのが、光速に近い乗り物に乗るとその中での時間の経過が遅くなるというような話しだよね。でもこれって過去にタイムトラベルしたり、タイムスリップするという話ではなくて、単に他の人よりも年をとるのが遅くなるという話だよね。『猿の惑星』という映画の中で起こった話だよね。あとタイムパラドクスの話があるよね。過去に戻って現在夫婦である男女を物理的に会うことが出来ないようにしてしまう。そうすると現在存在しているその夫婦の子供はどうなるかという矛盾がでてくるという話だよね。そこで出てくるのがパラレルワールドという考え方なんだけど。なにか物理学の世界でも研究対象になっているみたいなんだけど。つまり2つの世界が存在するという考えで、よくSFの話で使われているみたいなんだけど」
「わたしたちが感じるリアルな感覚がもう一つ別に存在する世界に属するものじゃないか、ということでしょう」
「そういうふうに考えてしまうんだけど。でも二週間のあまりにも快適な生活にどっぷりつかったことから来る反動みたいなものだと思いたいよ」
「そうじゃないと困るけど。パラレルワールドというのもが本当に存在して、わたしたちがそれに関わっていたと考えたら末恐ろしくなるわ」
「パラレルワールドが物理学の対象になっているみたいだけど、それはあくまでも理論上だけの話で、そしてその理論も何ら検証されているわけではないんだから。それにたとえ2つの世界が存在したとしても、その2つの世界の間に接点というものが全く無いということが前提としての理論だからね。もし仮にだよ、2つの世界が存在したとして、ある何かが関係して接点ができて、僕たちが関わったとしたら、2つの世界に少なからずの影響を与える可能性は充分にあるわけでしょう。そういうことを考えると本当に大変なことになってしまうと思うよ」
「それだからあなたが言うように、あまりにも快適な生活に二週間どっぷりとつかっていたから、そのことがわたしたちの感覚に何か影響を与えたと思うことが一番いいのね」
「人間の心理とか内面の状態というのは、指をちょっと怪我したというのと違って体全体に影響を与えるものだからね。体の中に残っているリアルな感覚はある意味で肉体的な変調にも思えるでしょう。置かれた環境があまりにも快適すぎるという状況でも別の意味でのストレス上の問題にも考えられるのかも知れない。だって全くストレスがない状態というのもあまり体によくないと言われているし。人間には適度なストレスが必要であるということが言われているわけだし」
「そうするとわたしたちは二週間全くストレスのない状態にいたから、あのリアルな感覚が体の中に残っているということなの?」
「そう、二週間まったくストレスのない状況にいたから、僕たちはあのリアルな感覚に悩まされた。本当にそう思わないと」
輝夫はショッピングモール内にある書店の、植物コーナーで樹木に関する本や図鑑全部に目を通していた。輝夫が二週間滞在した家の庭にあった3本の木と同じであると思えるような木の写真は、樹木に関する本と図鑑の写真を全部見たが見当たらなかった。昨日はインターネットで長時間かけて探したが似たような木の写真を見つけることは出来なかった。今日二週間滞在した家を出発する時、車の窓から輝夫はじっと三本の木を見つめていた。純白の太陽の光を浴びて、木の葉は微妙に違う様々な緑色の光を反射させていた。木の幹は純白の光を浴びて様々な茶色の光を反射させていた。今までに見た木で一番美しい木であると思った。両親は記憶にはないが何か別の世界で経験したようなリアルな感覚が体中に残っていると言った。輝夫は自分もそのようなリアルな感覚があると言ったとき、父親がそれは自分たちがあまりにも快適なストレスのない環境に二週間いたから、そのための心理的なものだと言った。輝夫はそのことが心理的なこととは思えなかった。三本の木に関係していることに思えた。輝夫はあの家に滞在中に最後の夜を除いて毎夜三本の木から発せられた光を見てきた。三本の木の発する光を見た後の数秒間の記憶の喪失だけは確かな事実だと確信できた。しかし不思議に感じるのはその数秒間がとても長く感じ、どこか別のところにいたというリアルな感覚が体中に残っていることであった。両親にその光のことを話そうとしたが、両親が感じているリアルな感覚があまりにも強烈であることを感じ取ることができたので、話さないほうがいいだろうと輝夫は判断した。
日曜日の午後ということもあってか、ショッピングモールの駐車場はほとんどスペースが車で埋まっていた。雲が点在している空には、夥しい数の青色の輝きがあった。その中で直視できない眩しさで太陽が輝いていた。純白の太陽は純白の光を駐車場の車に浴びせていた。駐車場にある車は純白の太陽の光を浴びて様々な色の光を反射させていた。赤い車は赤い光を、銀色の車は銀色の光を、黒い車は黒い光を、青い車は青い光を、緑の車は緑の光を反射させていた。白い車は純白の光を浴びて純白の光を反射させていた。純白の光は上空を飛び交い純白の粒となった。純白の光の粒は互いにぶつかり合って様々な色に変化していった。車から放たれた赤と銀と黒と青と緑の光は光の粒となって飛び交っていき、夥しい色の光の粒に吸収されていった。
駐車場の道路沿いには無数の街路樹が植えてあった。無数の街路樹は太陽の純白の光を浴びていた。街路樹の木の葉は濃い緑色の光を反射させていた。街路樹の木の幹は焦げ茶色の光を反射させていた。
車を乗り降りする人々。車から降りてショッピングモールへ向かう人々。太陽の純白の光は人々が身につけている衣服に降り注がれていた。夥しい色の衣服は夥しい色の光を反射させていた。
夥しい色の光の粒が駐車場の上空を飛び交っていた。光の粒は互いにぶつかり合いながらその色の数を増して行った。駐車場の上空に少しずつ幻想的な模様が現れ始めてきた。その幻想的な模様は少しずつ動きながら様々な色に変化していった。
ステーションワゴンの後部座席の右側に座り、輝夫は飛び交う眩しい光を見ながら二週間の間自分の部屋の中で見た光の模様を思い出した。あの体中に残っていると感じたリアルな感覚は、部屋の中で見た光が編み出す幻想的な模様と連動していた。しかし今駐車場で幻想的な光の模様を見ている。あの薄らいでいったリアルな感覚が体中を走っているような感じがする。それはたぶん両親が古澤俊治のことを話題にしたことと関係しているのかも知れない。古澤俊治は自分の部屋にひきこもり、不登校になっている。俊治の現実の状況が、輝夫の体中に感じられるリアルな感覚の持つイメージと、あまりにもかけ離れているのである。
萌子は助手席に座って食料品店で買った食品のレシートを見て確認していた。運転席のドアが開く音がした。真樹夫が書類入れ用のハードケースを持って車の運転席に座った。運転席側の閉まる音がした。ハードケースを輝夫の方へ差し出しながら真樹夫が言った。
「輝夫、これ隣の座席に置いてくれない?」
「分かった」
真樹夫はエンジンをかけるとカーナビのメニューボタンを押してからルート編集のボタンを押した。
「そうだな、この国道をもどらないでこのまま南に向かって行ったほうが近いね。そうすると・・・家に着くのは間違いなく7時過ぎになってしまうね」
「それじゃ夕飯も外食で途中のファミレスかしら」
「まあ、この二週間モニターのお陰で随分節約できたから今日ぐらいいいか」
「そうだ、いま輝夫の隣の席に置いてもらったハードケース開けてみて。いま車の後ろの荷物席から持ってきたんだけど。輝夫が中1の時写生会で描いた絵だけど素晴らしい絵を描いたんだね。全国で入賞してその時の賞状も一緒にあるから。どうしてあのダンボール箱に入っていたんだろう。こんな大事な絵、輝夫の部屋に置いといて。でも不思議なんだよな。全国での入賞だよ。あまり記憶にないんだよな」
輝夫はハードケースを開けて絵を取り出した。写生会で描いた山を背景にした草原の絵である。しかし輝夫はその絵を見てあまりにも奇妙なことに気がついた。輝夫が間違いなく描いた覚えがないものが描かれてあった。輝夫が滞在した家の庭の道路沿いに立っていた三本の木である。そしてそれがあまりにも見事に描かれていた。輝夫が描いた山と草原など遥かに及ばない素晴らしい絵であった。その三本の絵をしばらく輝夫は見ていた。中央の木の幹に茶色の光る点が現れてきた。その光る点は段々大きくなり光る茶色の円となって絵全体を覆う大きさになった。その円をしばらく見ていると冥王星が浮き出て現れてきた。しばらくするとその光る円は浮き出ていた映像とともに消えてしまった。左側の木の幹に肌色の光る点が現れた。その点は段々と大きくなり絵全体を覆う円になっていった。その円をしばらく見ていると東京タワーとスカイツリーの映像が浮き出てきた。しばらくするとその光る円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に橙色に光る点が現れた。その橙色に光る点は段々大きくなり絵全体を覆う円になった。その円をしばらく見ているとオバマ大統領の演説の映像が現れた。しばらくするとその光る円は映像と共に消えてしまった。中央の幹に赤く光る点が現れた。その点は段々と大きくなり絵を覆う円となった。その円をしばらく見ているとマイケル・ジャクソンの映像が浮き出てきた。しばらくするとその赤く光る円は映像と共に消えてしまった。左側の木の幹にピンク色に光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円となった。その円をしばらく見ていると『はやぶさ』と『イトカワ』の映像が浮き出てきた。しばらくするとピンク色に輝いていた円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に黄色の光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなっていった。その円をしばらく見ていると、なでしこジャパンの優勝の映像が浮き出てきた。やがて黄色に光る円は映像とともに消えてしまった。中央の木の幹に黄緑色に光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ていると山中伸弥京都大教授のノーベル医学生理学賞受賞の映像が浮き出てきた。しばらくすると黄緑色に光る円は映像と共に消えてしまった。左側の木の幹に緑色に光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ていると算数の教科書の映像が浮き出ていた。しばらくすると緑色に光る円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に青く光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとノーベル物理学賞授賞式の映像が浮き出てきた。しばらくすると青く光る円は映像と共に消えてしまった。中央の木の幹に紫色の光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとCOP21パリ協定の映像が現れた。しばらくすると紫色に光る円は映像と共に消えてしまった。左側の木の幹に水色の光る点が現れた。その点は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとオバマ大統領の被爆地広島訪問の映像が浮き出てきた。しばらくすると、輝く水色の円は映像と共に消えてしまった。右側の木の幹に純白に光る点が現れた。その映像は少しずつ大きくなり絵を覆う円になった。その円をしばらく見ているとICANノーベル平和賞受賞の映像が浮き出てきた。しばらくすると純白に光る円は映像と共に消えてしまった。
ショッピングモールの駐車場を出て左折すると、ステーションワゴンは国道を南へ向かって進んでいった。道路両側にはしばらくの間住宅が間隔を置いて現れていたが、車が進むに連れてその間隔は狭まり、やがて家々が密集した住宅地が道路の両側に現れた。しばらく住宅街の中を通る国道を走っていくと突然道路の右側から住宅が消え学校の塀らしきものが遠くからでも見え始めてきた。国道の右側に見える学校の塀は段々と大きくなり塀越しに学校の校舎が姿を現してきた。
「右側に見えてきた建物は中学校だよね」
「そう思うけど随分斬新なデザインの校舎だわね」
「もしかしてショッピングモールに置いてあったチラシの中学校かな?」
「ちょっと待って、あのチラシ出してみるから。あーそうみたいだわ」
「ちょっとあの中学の校舎の近くまで行って写真を撮りたいんだけど・・ちょっと寄ってもいいかな?」
「わたしは別に構わないわ。輝夫はどお?」
「僕も別にいいよ。僕もスマホで写真を撮ってみるかな」
中学校の校舎前は十字路になっていた。青が点灯していた十字路の信号はステーションワゴンが右折車線に移った後青が消えて、黄が点灯してすぐに消えて、赤の点灯と同時に右折信号が点灯した。ステーションワゴンは十字路を右折すると東西に延びる市道に入っていった。二車線の市道は校舎の北側に敷かれた塀に沿って延びていた。塀は前方に見える十字路のところまで延びていた。車は裏門の前まで来た。
「ここは裏門か。国道から見えていたのは校舎の後ろ側だったんだな。今ほとんど車が走っていないから脇に車を寄せて車の中から数枚撮って行くか」
ステーションワゴンは十字路まで進んで行った。十字路の信号は青が点灯していた。左折すると二車線の県道が南北に伸びていた。県道はしばらく校舎の塀の西側に延びていた。
信号の青が点灯している十字路を左折した。市道が校舎の塀の南側に沿って延びていた。閉じられた正門の前には車一台分のスペースがあって、ステーションワゴンはその場所に停車した。
「今日は日曜日で授業がないんだね。それに午後で部活もやってないんだね。だれもいないようだね」
「だれもいなくて静かな学校っていうのもいいわね」
校舎は一般的な学校の校舎のように角ばったものではなかった。全体が丸みを帯びた設計で作られていた。幾分西に傾いてきた太陽は青空に所々浮かんでいる雲の間を縫うように純白の光を現したり隠したりしていた。純白の太陽の光を浴びると丸みを帯びた校舎は四方八方へと純白の光の粒を撒き散らした。純白の光の粒は上空を飛び交ってぶつかりあっていた。純白の光は夥しい数の色へ変化していった。夥しい数の色の粒は幻想的な模様を編み出していた。幻想的な模様が一瞬の間消えたかと思うと、茶色の光が一瞬煌めいた。その時一瞬輝夫の脳裏を1歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、肌色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を2歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、橙色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を3歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、赤色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を4歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、ピンク色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を5歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、黄色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を6歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、黄緑色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を7歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、緑色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を8歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、青色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を9歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、紫色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を10歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、水色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を11歳の時の記憶がよぎった。再び幻想的な模様が現れて一瞬消えたかと思うと、白色の光が一瞬煌めいた。その時脳裏を12歳の時の記憶がよぎった。
中学校の校舎を後にしてステーションワゴンは、校舎の塀の南側に沿って延びる市道を十字路まで進み、信号の青が点灯している十字路を右折して国道を南に向かって進んだ。
「何か不思議なんだけど、あの校舎の写真を撮ったあと体中に残っていたあのリアルな感覚が全く消えてしまったんだ。体中に今まで溜まっていた疲労が全く消えてしまったような不思議な気分なんだけど」
「わたしもあの校舎をみたあと、あの体中に残っていたリアルな感覚が完全に消えてしまった気がするわ。不思議ね」
輝夫はショッピングモールの駐車場でも中学校の校舎でも、あの二週間の間自分の部屋で見た幻想的な模様を見た。自分の部屋で見たときには自分一人だけであったので確認できなかったが、ショッピングモールの駐車場と中学校の校舎の場合は両親もいる。ショッピングモールで両親は輝夫が見た幻想的な模様を見なかった。そして中学校の校舎で輝夫が幻想的な模様を見た時、両親が見ていたものは校舎の風景だけであった。輝夫は自分が何か幻覚のようなものを見ているのではないかと思った。どこか精神的に異常をきたしているところがあるのではないかと思った。駐車場では車の中で、父に自分が中学校の写生会の時に描いた絵を渡されてその絵を見た。驚くべきことにその絵の中に自分が描いていないはずの3本の木の絵が描かれてあった。その三本の木はあまりにも完璧な絵であった。輝夫が描いた絵とは全くの異質のものであり、とても人間の能力では描くことが出来ないのではないかと思えるほど次元の違うものに思えた。その三本の木の幹から光が現れた。それはあの二週間の間、最後の夜を除いて毎夜見えた光と同じものであった。毎夜違った色の光が輝いていた。中学校の校舎で幻想的な模様を見た時、幻想的な模様が定期的に消えてその瞬間三本の木が放ったと同じだけの数の色が煌めいた。そしてその度小さい時からの記憶が脳裏をよぎった。そしてそれは輝夫が描いた絵に描かれていたあの三本の木の幹に輝いていた光と連動していた。しかし車が走り出し中学校の校舎から離れていくに従って、あの体中に残っていたリアルな感覚が少しずつ薄れていくのが感じられた。ステーションワゴンが南に向かって進むにつれて中学校の校舎は段々と小さくなっていった。小さな丸みを帯びた箱となり、やがて点になった。体中にあったリアルな感覚が全くなくなってしまったのを輝夫は感じた。
輝夫はハードケースを再び開けて、中1の写生会の時に描いた絵を取り出した。絵を見た瞬間輝夫は驚きの感情と共に安堵の感情を感じた。輝夫が描いた絵に描かれてあったあの三本の木はもう消えてなくなっていた。
「輝夫は寝ちゃったのかな?」
「ええぐっすりと寝てるわ。寝息が聞こえるわ」
「ショッピングモールの駐車場と、中学校の校舎で見た幻想的な光の模様は、輝夫には見えなかったようだな」
「そうね、わたしたちは同じものを見ていて自分だけ見ているんじゃないということが分かったから、お互いにどうにか幻覚を見ているんじゃないと確認できたけど。輝夫が見ていたら自分だけが見ていて、もしかしたら幻覚を見ているんじゃないかと思って不安になっただろうから」
「本当はわたしたちが見たことを輝夫に話そうかと思ったけど。輝夫が見ていないんだったら私たちが幻覚を見ているんじゃないかと思って、心配するんじゃないかと思って言わなかったけど。どうやら見ていないようだったから良かったわ」
「しかしあの家で最後の夜を除いて毎夜見たあの三本の木の幹から見えた光は何だったんだろうね」
「毎夜違う色が輝いて不思議だったわ」
「数秒間の間だったけどとても長い時間どこかにいたような不思議な感覚が体に残っていて」
「今はもう全く消えてしまったけど、わたしたちの体の中に残っていたあのリアルな感覚と関係があるのでしょうね」
「僕もそう思うんだけど」
ステーションワゴンは国道の左側車線の左側を南方向に向かって走っていた。眩しい太陽が西の方からステーションワゴンに純白の光を降り注いでいた。ステーションワゴンのパールホワイトの車体は、眩しい太陽の光を浴びて純白の光を反射させていた。純白の光は国道の上空を飛び交っていた。上空を飛び交う純白の光は光の粒となってお互いにぶつかり合って、星の数ほどにも思える色に変化していった。星の数ほどにも思える夥しい数の色からなる光の粒は、幻想的な模様を編み出していった。幻想的な模様はステーションワゴンのちょうど真上で輝いていて、ステーションワゴンと同じ速さで同じ方向に進んでいった。