さよならシンデレラ

────高校三年の六月、上旬。
真新しい制服にはまだ汚れはない。


井上(いのうえ)さん、まだ音楽室分かんないよね?一緒に行こうよ」


私に声をかけてくれたのは、前の席に座っている女の子だった。昨日も今日も、困っている私に話しかけてくれる優しい子で、私は素直に微笑みながら「ありがとう」とお礼を言った。

彼女の名前は、ナノカ。
昨日、「ナノカでいいよ〜」と言われただけで、まだ名字が分からない。ナノカっていう漢字も分からない。

まだ歩いたことのない音楽室までの廊下を歩いている最中、「井上さんは、」と、親切なナノカが口を開いた。


「どうして転校に? 3年の春って、なんというか……」


ナノカの言いたいことはすぐに分かった。
どうして今の時期に転校してきたのか?
タイミングがおかしくないか?
もうあと1年もなく卒業なのにっていうことを言いたいのだろう。


「親の都合とか?」

「うん、そんな感じかな」

「そっかあ、嫌じゃなかった? 友達もいたでしょう?」

「ううん、電話もできるし、一生会えないわけじゃないから。それよりも心配だったのが友達できるかな?だったかも」

「そうだよね」

「だから、昨日ナノカちゃんが話しかけてくれてすごく嬉しかったの」


ナノカは嬉しそうに笑うと、「私たちもう友達だよ」と、言ってくれた。


「っていうか、ナノカでいいよ? 私も瞳って呼んでいい?」

「うん、ありがとう」


先生の見えないところで、連絡先を交換した。ナノカから送られてきた連絡先には、『菜乃花』とあった。

名前の通り、菜乃花は穏やかで優しく、花のような女の子だった。



そんな菜乃花は、保健委員会に入っていた。この学校では必ず委員会に入らないといけないらしく。

担任の先生は菜乃花と仲良くなった私に、保健委員会に入ることを提案してくれた。まだ菜乃花以外の子と仲良くない私は、先生の提案が有難くて。

私は保健委員会に入ることになり、それを聞いた菜乃花はすごく喜んでくれた。聞くところによると、菜乃花は3年のクラス替えで仲のいい子と離れ、委員会もクジで決まったらしく、あと2人いるらしいけど、それほど仲良くないんだとかで。

転校してきて1週間が経つ頃には、菜乃花が菜乃花の友達3人を紹介してくれた。菜乃花以外はみんな同じクラスだそうで、「離れてやだったけど、瞳が来てくれたから嬉しい!」と、本当に嬉しそうに言ってくれて。

そう言ってくれる菜乃花が、私も好きだった。
転校前は不安が沢山あったけど、本当に菜乃花に会えて良かったと思うほどだった。

おっとりとしている菜乃花は、テニス部に入っていて、放課後は部活に行くから別れるのは教室の中だった。可愛くて優しい菜乃花と別れ、私も帰ろうと思い教室から出ようとした時、「井上さん」と呼び止められた。

私を呼び止めたのは、担任の先生だった。


「はい?」

「ごめんなさい、転校手続きで、少し不備があって。今から職員室に来て貰える?」

「不備ですか?」

「不備というか、再確認したくて。今から帰るのに、ごめんなさいね」

「いえ、大丈夫です」


先生と一緒に職員室に向かった。職員室の扉付近からはコーヒーの香りがした。前の学校の職員室でも同じような香りがしていたのを無意識に思い出していた。

廊下で待つようにと言ってきた先生から、机から持ってきた書類を見せられた。再確認してほしい項目に目を通すけど、特に不備はなかった。


「分かった、ありがとう。なにか学校で困ったことがあったら言ってね」


にこりと笑った先生に、私も笑って「ありがとうございます」と、返事をした。


私は職員室の中に戻る先生が手に持っている書類を、静かに見つめた。


────死ねばいいのに……


そう思ったあと、静かに職員室を後にしようとした時、騒がしい音が耳に届いた。
騒がしいと思ったのは、肩がビクッと動くほどの騒音だったから。職員室の先生も、廊下にいた生徒たちも音のした方へと目を向けていた。


< 2 / 11 >

この作品をシェア

pagetop