■Love and hate.
勇気を振り絞ってもう一度言おうと顔を上げた時、
「無理だ」
冷たい声音が私の要求を一蹴した。
「婚約が決まってから一体何年経ってると思ってる」
父がこういう態度を取るであろうことを予想していなかったわけじゃないのに、身体が強張って動けない。
「今更断れるわけないだろう」
お父さんはこっちを見ない。
「お前の我が儘で結城さんのご両親を困らせるつもりか」
分かってる。
これが我が儘だってことも、今更だってことも。
…――でも、私だっていつまでも両親の犬でいたいわけじゃない。
「我が儘を言うのは…いけないこと?」
怖い。父に反論するのは怖い。
またあの時のように、あの目で突き放されるのではないかと思うと怖い。
「私、まだ子供だよ…」
でも、もうここまで来たんだ。絶対に諦めたくない。
「我が儘言ったっていいじゃん。今までずっとずっと我慢してきたんだよ。何もかもそっちが決め付けて、私だって本当は嫌って言いたかったのに、そんな暇さえ与えてくれなくて、通う学校も結婚相手も、私にとって大事なことはそっちの都合で全部決めて。お父さん達だって、私を散々振り回して困らせてるじゃん。なのに私には貴史さんのご両親を困らせるな、なんて言って」
頭で考えるより先に支離滅裂な言葉が溢れ出てくる。
「親って狡いよね。子供のことが心配だからって理由で何でも正当化できるんだもん。結局子供を良い学校に行かせないと恥ずかしい、良い相手と結婚させないと格好悪いっていう自分達の見栄の為に私を利用してるんでしょ?形だけでも“ここはどう?”とか“この人どう?”とか聞いてくれてもよかったのに、いつもいつも勝手に決められて、私はいきなり知らされるばっかりで、私のことなのに私を入れて話し合うってこともなくて、そんなの、従うしかないじゃない?今更も何も、最初から断れない状況にしたのはそっちじゃん。…婚約なんてまだ早いのに。私は、自由にさせてほしいのに…」
視界が歪み、鼻の奥がつーんとして、温かいものがぼろぼろ零れて、頬をつたっていく。
泣いちゃ駄目だって思うのに止められなくて、ただ必死に自分の思いを嗚咽まじりに伝えることしかできなくて、今お父さんがどれだけ冷めた目で私を見てるか分かったもんじゃない。
帰ってくるのをリビングで待っていたかと思ったら突然我が儘言って泣き出して、頭の悪い滅茶苦茶な娘だと呆れているかもしれない。
雨の音と、私の啜り泣く音だけがリビングに響く。
お父さんの沈黙の時間がやけに長く感じた。
「……悪かった」
不意にお父さんのそんな声が降ってきて、一瞬空耳かと思った。
でもすぐにそうじゃないって分かって、顔を上げる。
「お前がそこまで気にしているとは思ってなかった」
視界がぐちゃぐちゃで、お父さんの表情が見えない。
「そうか。…お前は、そういうことが嫌なんだな」
――決め付けていたのは、私の方…?
あぁ、そうか。勝手に何を言っても無駄だと諦めていたのは、私の方なのだ。
「こちらから、婚約破棄を提案してみよう。母さんには、俺が言っておく」
人間だ、と思った。
目の前にいる男性は、一人の人間だ。
私の支配者は、管理者は、同居している人間だった。