寿命買い取ります
 俺はこの春高校をもうすぐ卒業する予定だが、俺は何者になる予定もない。大学に進学するわけでもなく、専門学校に行くわけでもない。就職もする気はなかった。どうせ卒業後は定職につかず、日雇いのバイトをしながら不安定な暮らしをするのだろう。フリーターとしてとりあえず雇ってくれるバイト先が見つかればなんとか生活はできるかもしれないが、特技や才能がない俺は一生底辺の生活だろう。パソコンに詳しいわけでもなく、勉強ができるわけでもない。

 親が死んでしまい、親戚の金をめぐる争いに巻き込まれた今の俺には財産も地位もなにもない。お金の取り合いは非常に醜い人間だけの争いだ。しかし、楽をして楽しく生きていきたい。財産を思ったほど手に入れることはできなかった俺は、卒業後の暮らしが厳しくなることは目に見えていた。ギャンブルでもして稼ぎたいが、そううまくいくわけではないだろう。

 そんな悲観的な将来を考えながら通学路をを歩いていると、カツカツカツという音が聞こえる。何の音だろうか? 

 カツカツカツカツカツカツ――音が次第に近づいてくる。
 風がざあっと吹き、その瞬間、チラシが風に吹かれて俺の顔に貼りついた。

『あなたの寿命を売ってください。お金に換金します』

 寿命を売ることで金が手に入るのか。金がなければ、食も寝床も手に入ることはない。振り向くとチラシに書かれたビルは存在していた。あまりに地味すぎて今までこんなビルがあったかどうかも気づかなかった。それに、まさか寿命を買い取ってくれる会社があるなんて知る手段もなかった。チラシに感謝だな。

 俺は金を手に入れるために、とりあえず命を売るために、チラシのビルに向かう。雑居ビルの一室でそのあやしい商売は行われているようだった。俺は今日食べる食べ物を手に入れるために命を売る。そこまで本当は困っていたわけではないのだが、働かなければ、近いうちにそんな日が来るだろう。

 それは正しいことだと思えた。自然界の肉食動物が草食動物を食べて生きる食物連鎖のように、俺は取り引きすることを自然の原理だと思っていた。これを逃したら、こんな魅力的な話に出会うことはないかもしれない。

 何かにとらわれたかのような心理状態でなぜか興奮しながらその部屋の前に立った。会社なのだろうか。古びた雑居ビルはあまり人が出入りする様子もなく、人ひとりに出会うこともなかった。無機質な人がほとんど出入りしないビルは、寂しいとか孤独という言葉がぴったりの建物だった。

『寿命買い取ります』

 部屋の前には不思議な看板がかけてあった。これは、本当にこの世に存在しているのだろうか? そもそも寿命を買い取るなんて科学的に証明は難しい。詐欺会社だろうか? でも、お金をもらえるのなら、背に腹は代えられない。命を背や腹に置き換えるのはどうかとも思うが、今の自分に売ることができるものは寿命だ。それしかない。俺は思い切ってそのドアを開けた。きっとこの扉の向こうには怖いことが待っているのかもしれない。お金に換金できるのならばどんなことでもやろう。俺は、お金がほしかった。ただそれだけだ。

 俺のドアノブにかけた手は震えていたように思う。きっとヤクザまがいな人がいて、脅される可能性もあるだろう。どう考えても普通の会社ではない。ところが、扉の向こうには、女性がひとり受付カウンターに座っていた。普通の会社員といった風貌の若い女性だった。どちらかというと、受付嬢にいそうな感じの優し気な女性だった。しかも、一人しかいない。小さな会社だが、まさか部屋に女性一人だとは予想外だった。

「いらっしゃいませー」
 女性は礼儀正しく笑顔で応対した。想像していた強面の男性は一人もいなかった。

「このチラシを見て来ました。換金できるというのは本当ですか?」

「本当ですよ。即日現金支払いが当店のモットーです。では、お客様の情報をこちらにご記入くださいませ」
 笑顔で女性はボールペンを差し出す。名前、住所、年齢、性別を書きこめばいいのだろうか。

「18歳の男性ですね。何年分お売りしていただけますか? こちらが料金表となっております」

 にこやかな女性は料金表を差し出した。1か月1万円となっている。1年ならば12万円じゃないか。意外ともらえるなぁと思う。10年分売れば、120万円か。悪くない。俺の心の中は寿命を売ってお金を手に入れるだけで頭がいっぱいになった。平均寿命は80歳だとして、残りの人生は、あと62年あるとしよう。そうすれば、30年売ってもあと32年、つまり50歳までは生きられるぞ。俺の頭の中で計算がはじまる。

 カタカタ……チーン!! 
 計算が終了すると同時に男は決心した。

 よし決めた!! 俺は寿命を30年売って、360万円手に入れるぞ!! 心の中で決意を固める。お金をどういったことに使おうか、それを考えただけでわくわくしてくる。

「30年分売れば、360万円いただけるのですか?」
「はい、現金払いいたします」
 女性はパソコンで何かを確認した後、笑顔で現金を持ってきた。まるで中古の漫画を売ってお金をもらう感覚に近いくらい簡単な作業だった。
 
 俺は現金の札束を見て、少々興奮した。日雇いのバイトで手に入る金額は頑張っても札が1枚程度。しかし、目の前には300枚以上の札束がある。

「寿命って売ったりできるものなんですね」
「うちは特別ですから」

 世間話をしながら、受領にサインを記入した。そこには飛緑魔という会社名が書いてあった。
 目の前には光輝いて見える札束がある。低賃金の仕事ばかりの俺には、1年働いてもなかなか手に入れられない金額だった。うれしくなった俺は、そのまま紙袋に現金の札束を入れて、鼻歌交じりに事務所を出た。換金できたのだから、詐欺ではなかったようだった。

 俺はビルの1階の出口にさしかかったころ、急に心臓が苦しくなる。体に異変を感じた。あの部屋で何も飲み食いはしていない。毒を盛られたわけではないはずだ。持病もない。俺の体は健康だけがとりえだ。

 どうして、目の前が暗くなっていくのだろう。どうして、何も聞こえなくなっていくのだろう――。

 だんだん体に力が入らなくなる。まるで自分の体ではなくなるというはじめての経験に俺はその場で膝をつく。冷や汗のような嫌な汗が流れる。視界が狭くなって、最後は真っ暗になっていく。

 こんなはずじゃなかった――助けてくれ!! 
 声にならない叫びは声にもならない。既に声を出せるほど俺の体力は残っていなかったのだ。

 俺は倒れていく自分を他人事のように客観的に感じていた。そして、倒れたあとのことは自分でもわからなくなっていた。

「飛緑魔《ひのえんま》のご利用ありがとうございました。お客様、寿命が尽きたようですね」
 受付をした先程の女性がハイヒールの音を響かせながら男の側によって来た。そして、札束の入った紙袋を拾うと、そのまま上の階にある事務所に戻っていく。
 飛緑魔とは、妖怪の名前であり、美しいが、とても恐ろしく男性を滅ぼす妖怪だ。

 女性は妖怪の力を活かして新しいビジネスを立ち上げたのだった。
 先ほどのパソコンには男性の持ち寿命は30年。48歳死亡予定と記録されていた。男性はあと30年しかなかった寿命を売ったことによって持ち寿命が0年となってしまったらしい。

 既に意識がない男が倒れていてもひんやりした静かなビルの中には人ひとり通らず、誰も気づいてはくれない。女性が歩くハイヒールの音だけが雑居ビルの中で響いていた。

 カツカツカツ―――
 無機質な壁と床の中で、ヒールの音だけが鳴り響く。
 放課後ヒールの音が聞こえたら振り向かないほうがいいかもしれない。
 もしかしたら、あの女性があなたの後ろにいるかもしれない。
 そして、あなたの命を狙っているのかもしれない。

 あなたのまちの雑居ビルの中にも、寿命を取り引きする会社が入っているかもしれないが、安易な気持ちで近づかないほうがいいだろう。彼女たちは残りの寿命を教えることなく取り引きを要求する。自分の残りの年数を知っている人間はいない。換金はしてくれるが、生きていなければお金を使うことすらできないのだから。
 






 


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