殺人
「自分」は、雨のなか、ポツンと立っていた。

「自分」の手にはさっき使ったばっかりの包丁。

令和四年、日本では294人もの人が、殺されているらしい。

毎年三百人ほどいるらしい殺人事件の被害者の一人が、「自分」の目の前には、さっきま話していた体。

その腹は血で赤黒く染まっている。

さっき人を殺したばっかなのに、恐ろしいほどに脳はいつもと同じように動いていて、頭の中には「手袋つけててよかった」とか、そんなことしか思い浮かべることができない。

「ねぇ」

突然声が聞こえて振り向くと、何十年と隣にいた「君」が、傘を持って立っていた。

「それ、あなたが殺したの?」

「君」の問いに「自分」は素直に頷く。

「君」に嘘が通じないのは既に分かっていいた。

「そう」

「君」は、それだけ言うと静かに「自分」の前にあった体に視線を向ける。

「何も言わないの?」

その時、初めて「自分」の声が震えていることに気づいた。

脳は既にこの状況を理解していたが、体は理解していなかったらしい。

「言わないよ。だって、殺す理由があったんでしょ?」

少し肩をすくめて言う「君」に失望されたくなくて、勢いよく頷く。

「なら、あなたは今からどうするの?」

「君」に聞かれて「自分」はまだ決まってない、と言うふうに緩く首を振る。

「それはよかった。提案があるの」

「君」は今まで過ごしてきた中で一番綺麗な笑顔で微笑んだ。

「あなたと『実験』したいの」

「君」は倒れている体に目を向けながら淡々と「実験」の話を始める。

「知ってる?世の中には『人を殺せる』タイプと『人を殺せない』タイプの人間がいるの。それは遺伝とか、環境によるけど・・・あなたは『人を殺せる』人間なの」

「君」の言葉に「自分」は改めて「自分」は人を殺したんだと実感した。

「でも、いくら『人を殺せる』タイプ、と言っても普通の人間には同族を殺すことに抵抗感がある。分かるでしょ?」

「まぁ・・・」

「事実、第二次世界大戦でも、殆どの人が敵軍を殺すことに抵抗を覚え、撃たなかったり、打っても相手に当たらないような位置に打つ。それに対してアメリカ軍はベトナム戦争時、訓練兵に人を殺すことの抵抗感をなくす訓練を施したけど、訓練を行なって、戦場に向かった兵がPTSDになる確率も跳ね上がった・・・人は、元々人を殺すことなんてできない」

「自分」は、「君」が何故こんな話をしているのか理解できなかった。

ただ、「自分」は「君」の見たことのないような光悦したような表情に、何も言い返すことができなかった。

「初めてこの話を聞いた時、理解できなかったの。人を殺すことへの抵抗感が無くならないのはなんでって。だって、普通何かをずっとやり続けてたら抵抗感はなくなるはずでしょう?万引きも然り。ルールを破ることも然り・・・ならなんで殺人はその法則に当てはまらないのか」

「自分」は思わず後ずさりしてしまった。

目の前にいる「君」が人間ではない、全く違うモノのように感じたからだ。

「だから、本を読んだり、実際殺人を犯した人の裁判とか行ってみたりしたんだけど・・・やっぱり理解できなくて、実際自分自身で殺人したら気持が理解できるかな、って思って・・・でも」

「君」はそこで初めて「自分」と目を合わせた。

「あなたが代わりになればいいのよ」


「・・・え?」


「あなたは人を殺して、その感情を伝える。誰を殺すとかの指示、殺した後の後始末は全部こちらでやる。もちろん、この体も処理する。どう?あなたは殺人の罪を被らないで済む。私は知りたいことを知ることができる。一石二鳥でしょう?」

そう何事もなかったように言う「君」に、「自分」は今度こそ恐怖を感じて手が震える。

「君」は一歩ずつ後ろに下がる「自分」を追い詰めるように「自分」との距離をつめる。

「もし、あなたがこの『実験』を断るなら、今すぐここで警察を呼んで、今まで少しづつ集めていた犯罪死体をここにばら撒いてあなたが殺したことにしてあげる!」

「なっ・・・」

「君」のそんな言葉に冷や汗が背中を伝う。「自分」の未来を「君」が握っているという事実に目を背けたくなってしまう。

「ほら、早くいいよ、って言ってよ。あなたが人を殺した事実はもう覆せない。それなら、その罪がバレないように、せいぜい足掻いたら?」

有無を言わせないような「君」の表情に気づいたら「自分」はこくりと頷いていた。

「自分」が頷いたのが分かると「君」はにっこりと笑顔を「自分」に向けた。

「それでいいのよ。ほら、包丁貸して。これ解体するから」

この包丁を渡したら、きっと「自分」は元に戻れない。

ただ、この状況に抗う力なんて、「自分」には到底持ち合わせていない。

「自分」は「君」に血に濡れた包丁を差し出した。


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